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今日は日曜で、朝インターカムが何度も鳴った。
日曜の、しかもこんな朝にインターカムが鳴る理由はたった1つだ。

わたしはそれが誰で、何の用件かも知っていた。
恥も外聞も忘れて起き抜けのボーっとした眼鏡姿で猛ダッシュ!
えへへへへ、もう顔がにやけてしまいます。
だって、ブツが何だか見当がついてしまっているから。

えへへへへ、それは日本から送られてきた『新選組!!』なのに違いなかった。もし違ってたらわたしは立ち直れないぐらいドーンと落ち込んだ日曜を過ごさなければいけなかった。
でも、それはやはり紛れもなく『新選組!!』DVDが入ったEMS便だったのです。 

ニヤニヤニヤニヤニヤニヤ。   

開封したら『新選組!!』以外にも『紅白』と『新選組!総集編第1部~第3部』のDVDが入っていた。
あぁ、どうも有り難う! Thank you sooooooooo much !!!

しかし、わたしは友人のサプライズ誕生パーティに出るために午後から出かけなければ行けなかった。
あぁ、こんな時に!
わたしはじっくりと『歳三最期の一日』を見たいのよ!
もう我慢も限界なのよ!待ちに待っていたのよ!

というわけで、やっぱり好きなものを我慢することのできないわたしは、まずは一度…と、やらなきゃいけないことも放っぽらかして、カウチにドーンと陣取ってスピーカーの音をデカくして見てしまった。
幸いルームメイトは外出していたので、万が一ボロ泣きしても大丈夫。ちゃんとティッシュも用意した。

いざ。


このエントリを書く前にもう一度落ち着いて見直した。
そうしたら1回目と2回目に見た時の印象がずいぶん変わってしまった。1回目に見た時には感じなかったことが、2回目ではすごく深く感じられたりした。もしかして、3回目を見たらまた違う感情が湧いてくるかも知れない。やはり三谷さんの作品はスルメみたいに何度も味わうことで深みが増すのかな。

なので感じたことをダラダラと書き綴ることになると思います。
見ながら気がついたことをメモしていたら、かなりの枚数になってしまい、そしてそれらをとても上手くまとめて書くことはできないだろうと思うので…。

まず、続編であるけれど、わたしはこのドラマを本編の『新選組!』とはまた別の視線で見ていた、ということ。
もちろん設定も登場人物の多くも『新選組!』から継承されているのだけれど、作品に漂う空気は全く違ったものになっていた。
それは三谷さんもインタビューで語っていたように、「ハードな内容、漢のドラマ」になっていて、試衛館ズのメンバーを中心に、彼らを愛し、彼らを追ってって見ていた頃とは当然違ってしまっていた。

京で活躍していた頃の新選組とはすでに違うことぐらい、本編の後半でも嫌というほどわかっているはずなのに、それでもつい続編にあの頃の興奮を求め、期待して見ている自分がいたりして、ドラマが始まってこの寂寥感溢れる空気にもう同じテンションで見ることは
できないのだ、これは別のドラマなのだということを感じずにはいられなかった。
きっとそれはわたしが土方が北へ転戦してからの史実を勉強しないまま見ているからだと思う。もしこの頃の史実を深く知って見ていたら、また見る気持ちも違っていたかも知れない。

オープニングのナレーションが終わって「正月時代劇」というタイトル画面が挿入される、その次にあの「♪タータラッ タタタ タタタ タタタッ…」のタイトル曲が始まることを期待してしまって、「あぁ、流れないんだ…」と気づくわたし。2度見て2度ともそう思ってしまった。

時折新選組の全盛期の頃の話が出て、「池田屋の時は…」なんて語られても、彼らがものすごく遠い昔の話をしているような、歴史的な話をしているような気持ちになって、1、2年前の出来事を語っているように感じられなかった。それほど時代の流れがものすごい勢いで変わっていたということなのだろうか。

土方が市村鉄之助を呼んで自分の遺品を託すところ、ここは「流山」で近藤が周平に「土方が会津に行ってもお前はついて行くな」と諭した場面を連想させた。
子を守る親の心―これは全く自然に土方にも湧いた感情なのだろうな。

それにしても、本編からの音楽が流れるだけで、数々の名場面が思い出されて、ドラマのトーンも舞台も本編とは全く違っているのに、音楽が流れるだけでアッと言う間に頭の中が本編の映像とリンクしているのには自分でも驚いた。

あ、この音楽は総司とおひでちゃんの切ないシーンだ、あぁ、あれは源さんの最期の瞬間に流れる胸を打つ音楽(「サントラ?」切に希望)だ、あれは総司が山南さんを追って街道を馬で草津に向かっている時の音楽だ、これは13話の山南さん vs 村上周五郎の時の一触即発の時の音楽、あ、これは近藤と甲子太郎の会談の時の……
そんなことがいちいち頭をよぎった。
続編のテーマとして確かに「ゴッドファーザー Part?」から抜け出たような音楽が新曲として書かれたけれど、わたしの涙腺を常に揺らしていたのはやはり本編に登場した名曲の数々でありました。

待ちに待った試衛館ズの回想シーン。
見る前、わたしはもっとワクワクするだろうと思っていた。
「あぁ、でたぁぁぁーっ!」って声に出しちゃうくらい、彼らが一堂に会している場面を興奮を持って見るのだろうと思っていた。

でも実際は違っていました。
確かに総司も、山南さんも、永倉も、左之助も、平ちゃんも、源さんも、みんなみんな揃っていたのに(残念ながら永倉と左之助は別録編集でしたが)、すでに彼らが京に上る前の試衛館ズだと認識させるのに、わたしにはちょっと努力が必要だった。
藤原くんの総司も、明るく屈託のない若き日の総司を演じていたのに、当時の総司よりも少し痩せて精悍な顔つきになっていてりりしさが増した藤原くんは、京に上ってからの「富士山と高尾山」談義の頃の総司ですらないように見えた。

これはひとえに藤原くんの個人的成長の産物なんだろうけれど、それは山南さんにも感じたことで、山南さんの答えそうなことを山南さんが語っているのに、堺さんの声のトーンは以前より低くめに感じられ、やはり「あの頃の試衛館のまんま!」と手放しで振り返ることができなかった。これは山南スマイルが少なかったからかな?
これは2回目に見た時より強く感じられた。
やはり近藤さんの不在・喪失感というものがいかに大きいものかというのが、この幸福をもたらすはずのシーンで感じられ、すごく楽しみにしていた反面、余計に寂しさが増したというのもあったのかも知れない。

芝居に関してはやはり藤原くん、ダントツで場をさらってました。
昔「新選組!」の終わり頃、隊士がみんな死んでって寂しくなった竜也くんが、飲んでる席で三谷さんに「もう一度この3人(土方・総司・山南)を揃って出して下さいよ」と懇願し、三谷さんも書いた(らしい)けれど割愛されてしまったという話があったから、三谷さんは竜也くんのリクエストに続編で応えてあげたのかも。

わたしが続編でもっとも涙を流したのはやはり佐藤B作演じる永井様と土方の場面。

「オレが何のために今日まで生きてきたと思うんですか!全ては近藤さんの無念を晴らすため。近藤勇を罪人のままにしておくわけにはいけなかったからです。今、薩長に白旗を上げたらオレは何と言って詫びたらいいですか!」

「ごめんなさい、でいいんじゃないか?それで怒るような近藤さんじゃないだろう?」

この場面にね、あの源さんが息を引き取る時の音楽が流れるのですよ。もう、わたしはこの音楽に泣いてしまった。この音楽が流れると自然に「涙スイッチON」なのです。

ここは耕史くんもB作さんも渾身の演技でした。泣けました。
この永井様と土方のシークエンスは、板橋に拘束される近藤を助けるため、土方が勝海舟に助けを求めに行った時、「近藤を助けになんか行くんじゃねぇぞ、薩長の恨みを一身に受け止めることのできる男は近藤以外にいるわけがねぇじゃねぇか」と諭される、あの場面と同じですね。
無駄に死んではいかん、これからのために生きねばだめだ、と。

それにしても筒井くん演じる容保様はやはり殿様に見えなかったな。カジュアルで。(笑)
オダギリくんとの3人の会津のシーンも、試衛館ズ同様、サービスカットでしたね。

土方が榎本に会わせろ、と五稜郭に押し掛けてくるところ、大鳥とのやりとりは最も壬生浪士組時代の土方を感じさせる場面だった。

「最悪の場合を考えるのが”策”ってもんじゃねーのか!」

これは池田屋の直前の群議で近藤に会津への支援を助言する山南さんに、「戦の前から負けることを考えていてどうする!」と反論する土方を、「あらゆる事態に備えて策を練っておくのが軍議ではないかぁぁぁーっ!」と山南さんが声を荒げて一喝したあの一件を、土方がちゃんと胸にとどめていたという証拠なのですね。

土方が官軍に対する桶狭間の戦法を披露した時も、試衛館時代の「最強の生き物談義」の鵺を例に出して「薩長、土佐の寄せ集めの”鵺”を倒すのは人間だ」と話す土方。山南さんの「一番恐ろしいのは人ではないでしょうか」という言葉を昔の土方は「そんな〆方でいいのか」と吐き捨てていたけれど、ちゃんと心に留めていたんだ。

今回何かにつけて山南さんの名前が登場するのは、本編で土方の言葉としては出てこなかった、恐らく土方が最も悔いたであろう山南さんの死というものを彼がどういう風に受け止めていたのかということを知らせる場でもあったんだなぁ。

登場人物の服装も面白かった。
彼らの衣装が、彼らがどのくらい時代の変化を受け容れているかというバロメーターになっていて、その違いが興味深い。
榎本は断髪・洋装・口ひげ。
土方は断髪・洋装、でも帯刀。
大鳥は洋装なのにちょんまげ。
永井様に至っては全くもって徳川幕府のまんま。当然か。(笑)

「西洋カルタをするのに食べやすいものを、ということでサンドウィッチが作られた」という蘊蓄を披露する榎本、これは「王様のレストラン」で千石さんが言いそうなネタだなぁ~、なんて思いながら見ていた。
全く喜劇作家・三谷幸喜を出さない(異色の?)シリアスな続編で、この部分はちょっと三谷幸喜を感じました。
それにしても愛之助さんの江戸弁?というのは何だか不思議な感じだ。
仕事の関係で、むかし夏の公演の時に時々楽屋付近で愛之助さんをお見かけした。上方歌舞伎の若手のホープでとても柔らかいお顔の印象があり、宣材の写真もすごく男前で一際目立っていた。
あの愛之助さんが『新選組!!』に出てるんだなぁ。何だか感慨深いものが。(笑)

榎本と土方の軍議の場面で、実はその場に隠れていた大鳥を引っ張り出す方法も、「ではここは本人に聞いてみるとしよう」といって登場させる「避けては通れぬ道」の芹沢鴨の時と同じパターンを踏襲していました。これもちゃんと本編を意識してのことだったのかしら。

わたしはドラマを見る前に、勝手にこういう風に土方は死んでいくんじゃないだろうか、というイメージを作り上げていた。こういう風だったらいいのに、という希望もこめて。
でもわたしが想像していた以上に最期はアッサリとしていた。
すごくドラマチックなものを勝手に想像していた。もっと泣くだろうとも思っていた。でも三谷さんはそんなに大仰には描かなかった。すごくシンプルだった。

力尽きて倒れる土方。山南さんを失った後に縁側でかっちゃんとグダ泣きした時の音楽だ。
雲から差す陽の光。
「流山」の時の最後に流れるレクイエム。
仰向けに倒れる土方の顔の前にのぞき込む近藤の最期の顔。
笑顔で応える土方。

ずっと「近藤さん」と呼んでいて、たった一度だけ、近藤の前でだけ呼ばれる「かっちゃん」。
ファンはこの言葉がどれだけ思い入れの深い言葉かを知っている。

自分で勝手にイメージしていたものがドラマチックなものだっただけに、1回目に見た時はなんてアッサリした最期なんだろうと思った。だが2度目に見た時、ここでボロボロボロボロと涙が出てしまった。
何度も見直して、そしてまたボロボロと泣いてしまった。
このシーンをドラマのエンディングにもってくることもできただろうけれど、希望の残る終わり方が選ばれた。
池松壮亮くんがただひたすら、姿が小さく小さくなって豆粒みたいになるまで広い原野を駆けていく。

実はこのエンディングも一度目に見た時はピンとこなかった。テーマ曲も「ここで流れるの?」という感じだったのだ。
え、こういう終わり方なの?テロップの出し方もスピードも、大河のに慣れているからちょっと違うんだよなぁ、なんて思っていた。
でも2度目に見た時はテーマ曲のタイミングも、バックの映像も、こういう終わり方でいいのだと思えた。
「友の死」の次の回が「寺田屋大騒動」の時みたいに。

もう一度見たら、また違う印象を持つような気がする。
なんだか不思議なドラマだ。ボディブローのようにジワジワくる。
そうしてわたしはまた『新選組!』が見たくなる。

幸い続編と共に総集編のDVDも届いたぞ。
本当は本編を全部見返したいところなんだけど、総集編でも嬉しい。

また睡眠不足の日々かも。

 

 





















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