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今日のBGMは気分でスーパーカーとスガシカオ。
久々に打ち込みの音を聴いた気がする。

先日届いたSony MDR-NC6 のヘッドフォンをおでかけの友に、いつも行く近所のスーパーに買い物に行ったらレジのお兄さんに「お、いいのしてるね」と声をかけられた。
「僕のもSonyので君の使ってるのの1バージョン古いやつだけど、アレいいよね。あ、ノイズ・キャンレーションついてるの?僕のは古いからバイク(自転車)に乗ってても音が聞こえていいよ」なんて笑ってたけど、イヤイヤイヤ、こっちで自転車乗る時は車道を走らなきゃいけないから、外界の音が聞こえないと危ないってば。車にはねられてしまうよ!そうでなくても全米でもボストンのドライバーの運転は悪評高いのだ。

そんなわけで、写真で目にしていたデザインが思っていたよりちょっと大仰で、その点は100点満点ではないんだけど、音質は前より格段に向上したのでOKです。オーバーヘッドタイプの難点は、長い間してると耳が圧迫されることでしょうか、ワガママ言えば。


出かけたついでに借りていたDVDを返却。
返却ついでにまた借りてしまった。

木島”「踊る」レジェンドドラマスペシャル”、そうです、『逃亡者 木島丈一郎』です。

子供に縁の薄い大人と子供が疑似親子の関係を築くロードムービー、そしてその旅(逃亡ですが)を通して信頼と友情を深めていく――これはいろんな素材で繰り返し登場する永遠のモチーフですね。

たぶんわたしが最初に見たこのモチーフを描いた映画はピーター・ボグダノヴィッチの『ペーパームーン』だった気がする。
疑似親子の関係を築くセコい詐欺師と女の子を、実の親子であるライアン・オニールとテイタム・オニール(オスカー助演賞受賞の素晴らしさ、このときわずか10歳!)が演じていた。

こういう物語のミソは、大人が子供に縁がなければないほど子供との交流による心の変化が表れやすいわけで、今回の寺島進演じる木島丈一郎にしても、「いかにも」の設定ではある。
親との交流が薄いと語る子供に、夜汽車で逃げている途中に木島がかけた言葉。

「オレなんか猫飼ってるだけだよ?親兄弟、女房も子供も誰もいないんだよ、猫、一匹飼ってるだけだよ?まぁアレだよ、それがな、大人ってもんだよ」

映画『交渉人 真下正義』でも実にいい味を出していた爆弾処理班の班長を演じた松重豊がここでもずば抜けた存在感を示している。

交渉人 真下正義』のエントリの時に書ききれなかったのだけれど、彼がコンサートホールに仕掛けられた爆弾処理をする時のカッコよさったら。ホールに複数しかけられていた爆弾を、部下と無線で連絡を取りながら処理していく。

無線での会話

班長: なぁおぃ、『ジャガーノート』って映画、知ってるか?
部下: いえ。
班長: 爆弾解体の話でなぁ、最後に赤と青のコードが残るのよぉ。
部下: (部下、コードを確認) …こっちは7本ですね。
班長: グレードめちゃめちゃ高けぇなぁ…どーする…。
部下: 勘でで切るしか…ないでしょうねぇ。
班長: バカヤロー、勘なんて当てになるかよー!
     各班へ、まずオレが切る、後に続けよ。

(赤と黄色のコードが2本残っている。首からかけている黄色のお守りを握りしめる班長。汗まみれのお守りを見つめ、2本のうち赤いコードの方を切る。…不爆。)

班長: (各班へ)”赤を切れ”。


このシーンがね、ものすごくいいんです。緊張感あふれるシーンで、こういう何気ない無駄話を繰り広げつつ困難な状況を乗り切る、っていう。

これをなぞったシーンが『木島丈一郎』にも再度登場。ただし飲み屋で爆処理の若い衆との「黒ひげゲーム」で。
最後の2択で班長が握った剣がやはり赤と黄色、そして迷わず黄色の剣を選んで黒ひげの樽にブスッと刺すのだが、無常にも黒ひげは吹っ飛ぶ…というオチ。(笑)

この飲み屋の女将が森口瑤子。『時効警察』といい、何だかママづいている森口瑤子。

飲み屋での班長とママの会話も軽妙でいい。やたら爆弾映画の話ばかりする班長に困惑気味のママ。
松重豊はいいですね。

このドラマのエンディングが映画『交渉人 真下正義』に続いていく構成になっているので、映画の方で登場した小道具の理由付けが、ちゃんと
このSPでわかるようになっている。警視の木島がいつもドカジャンを着ているのはなぜか(まぁ現場主義だということの象徴でもあるんだけど)、映画の最後で使っていた携帯用灰皿の出自等、「あぁ、そうだったの」と納得のいく見せ方をしている。

オリジナルの『踊る』からの登場人物がユースケだけ、というスピンオフのスピンオフだからか、『踊る大捜査線』というドラマを連想させるものはほとんどない。タイトルこそ「踊るレジェンド」とあるけれど、これは独立した1つの別のドラマですね。

和久さんもいなくなってしまった今、もうオリジナルがだんだんと遠いところに行ってしまった感もなきにしもあらずだけれど、これ以上、青島くんと室井さんの「本店/所轄」の縮図エピソードだけでは引っ張り切れないのでしょうね。というか、そこまでこのドラマを発展させる必要があるのかどうかもわかりませんが。

今回は寺島さんの木島丈一郎がメインながら、わたしは爆弾処理班の松重さん(「班長」だけで役名がないのがまたいいですね)が楽しめただけでも十分です。

『交渉人 真下正義』のDVD発売の時期に併せてSPドラマを放映し、それも初回エディションでセットにして売り出すという、相変わらず商売上手なフジTVの戦略が見えますが、こうなったら、爆処理班長のスピンオフを作ってください。
もし制作されたら絶対観ます!(笑)





夕食後にルームメイトがTVをつけたら『ゴッドファーザー Part?』をAMCで放映していて、つい最後まで見入ってしまった。

アル・パチーノは素晴らしいですね、ほんとに。ジョン・カザールも素晴らしい。
わたしの大好きなキャラクター、トム・ヘイゲンを演じたロバート・デュバルは1作目からわずか2年後の制作なのに老けて見える。今回まで気がつかなかった。そして未だに何より不思議でならないのが、この映画にダイアン・キートンが出てること!(笑)

わたしの彼女に対するイメージは、「クッションみたいな人」。
説明が難しいけど、どんなに完璧なカッコイイ、あるいは悩める人間を演じようとも、どこかにそこはかとなく柔らかい部分がみえて、ちょっと息が抜けるというかくつろげるというか、相手の芝居を(はね返すのではなくて)吸収してしまう柔軟性が感じられる。彼女が演じると決して冷徹な人間にみえない暖かみがある。そしてもちろん、コメディエンヌとしても魅力がある。
そんなダイアン・キートンが『ゴッドファーザー』のケイですよ。さっき『ゴッドファーザー』を見て、「そうだよなぁ、出てたよなぁ」と改めて感じました。

エンディングの、まだソニーが生きてた頃にマーロン・ブランドの誕生祝いをマイケルが回想するシーンを、三谷さんが『!! 』の試衛館のシーンで言ってたことを意識しながら見る。
考えたら、新選組での芹沢派粛清は、マフィアの抗争にも似てるなぁ。

ところで、『メゾン・ド・ヒミコ』を見て思いだしてまた見たくなってしまった映画が『私の愛情の対象』。
これはある女性が偶然パーティで知り合ったゲイの青年とルームメイトとして生活することになり、ゲイと知りつつ惹かれていってしまうという話。主人公の女性をジェニファー・アニストン、ゲイの青年をポール・ラッドが好演している。


object of my affectionこの映画を2度、劇場に見に行った。
確か公開前に前売りを買って見に行った記憶がある。8年前の話だ。

ジェニファー・アニストンはとてもチャーミングなコメディエンヌなのだけれど、反対にそのイメージが強くてどの映画も同じようなキャラクターを演じることになってしまい、その殻を破ることが出来ないようにみえる。
これはメグ・ライアンにも言えることで、ラブコメで彼女たちが輝けば輝くほど、それ以外の出演作に対しての評価は厳しい。
マイク・ホワイト脚本のインディペンデント映画『グッドガール』にも出演し、彼女は脱イメージを図ってインディペンデント系映画祭でもいくつも賞のノミネーションを受けたりしたが、結局注目を浴びたのは共演したジェイク・ギレンホールとジョン・C・ライリーだった。

しかし、この映画のジェニファー・アニストンは本当に魅力的で、やはりラブコメが彼女の生きる道なのだと再確認。もう、迷いなくこの道を進んでもらいたい。こういう脚本はあなたのためにあるのです。

NYでソーシャル・ワーカーとして働くニーナ(J.アニストン)は貧乏弁護士のBFとつきあっていて、社会的ステイタスを気にする姉からはあまり好ましく思われていない。出版社を経営する義兄のパーティで知り合ったジョージ(ポール・ラッド)が宿無しであることを知り、ニーナのアパートで共同生活をすることになる。彼がゲイであることはニーナのBFも了解済みで生活も順調にスタートするが、何かと拘束の多いBFに手を焼いていたニーナにとって、彼女を自然に受け容れてくれるジョージは次第に親友となっていく。そして彼女にとってかけがえのない存在に変わっていく。

ニーナとジョージは精神的には深い結びつきを持つのに、哀しいかな、肉体的な結びつきを分かち合うことができない。彼はニーナへの愛情と友情をはぐくむんでいけても、肉体的な欲望は女性へは向かない。
彼女もそれはわかっているのにジョージを好きになり、わかっているのに彼に期待してしまう。

精神的な愛情と肉体的な愛情というのは別の次元にあって、それを同時に持てないから、やりきれない哀しみが生まれる。
『メゾン・ド・ヒミコ』でも、沙織と春彦はお互いに惹かれ合い、お互いに求めるものがあるのに、沙織は春彦の求める肉体を持たない。
『私の愛情の対象』でも、ニーナとジョージは精神的に深いつながりを持つのに、肉体はつながっていかない。そしてニーナはお互いの愛情を肉体表現で彼と分かち合うことができないことに苦しむ。

つきつめれば、「愛情とは何か」ということを考えさせられる映画で、そして精神的愛情と肉体的愛情の分離は「せつなさ」を生むのです。
お互いに相手のことを想っているのに、それが成就されない。
あぁ、せつない。

ポール・ラッドを初めて知ったのはバズ・ラーマンの『ロミオ+ジュリエット』でジュリエットの婚約者を演じた時。彼はタマゴみたいなツルンとした顔をして、いかにも”好青年”という印象を持つ。この映画でも子供好きで皆に愛情を注ぐゲイの青年を好演している。
その後、彼は人気シットコム『フレンズ』で、フィービーの結婚相手を演じていたから、レイチェル役のジェニファーとはこの映画で先に共演しているわけですね。

しっかり者で妹思いの姉を、TVドラマ『ホワイトウィング』の敏腕広報官を演じて2004年のエミー賞主演女優賞をさらったアリソン・ジャニー。彼女の夫で出版業のオーナーをアラン・アルダ。TV版『M*A*S*H』のホークアイでおなじみですが、個人的にはオリジナルのD.サザーランドが素晴らしいので映画の方が好きですが。
近年では『アビエイター』で上院議員を演じてその存在感を見せつけておりました。

それから、ジョージの弟でプレイボーイの歯科医を演じているのがスティーブ・ザーン。これまたせつない映画でわたしの大好きな『リアリティ・バイツ』(イーサンの魅力に浸ってください)では、彼がゲイの役を演じていた。
このスティーブ・ザーンの結婚式で、妊婦のジェニファー・アニストンとポール・ラッドが踊るのだけれど、これがものすごく泣かせるいいシーンなのだ。映画の宣材にも使われている(上の写真)、タキシードとドレス姿の2人は、その結婚式で踊っているところ。写真の背後に、NYを象徴する今はなきランドマークのWTCツインビルが映り込んでいるのが何とも哀しいですが…。

派手さはない映画だけれど、渋いキャストが揃っていて、そして何よりせつない。せつない映画が好きな人にはたまらないです。

そうか、ヒット作ではないけれど、優れた「せつない映画」を紹介することにわたしの使命はあるのかも知れない、と今気がついた。(笑)
そういう映画について、また機会があれば書いていきたいと思います。





耕史くんのHPの4/23のStaff Journalに、近況報告として

4/24にブロードウェイで
「RENT 10周年チャリティコンサート」が行われ、
そこでオリジナルキャストとともに祝うため、本日渡米します。

(よって新選組!飲み会の実施は、
もうちょっと先になりそうです……)

って書いてあった。
じゃぁ、今週NYに来てたんだ。
ボストンでも6月にShubert Theatre で「RENT」が上演されるので見に行こうと思っている。

今思えば仕事の関係で、当時(関西では)神戸オリエンタル劇場で上演されていた「RENT」の日本公演(初演)を見るチャンスがあったのに見に行かなかった。あれは惜しいことをしました。耕史くん、出てたのにね。
大阪からだとちょっとアクセスがよくないんだもん、神戸オリエンタル。夢の遊民社なんかのお芝居は見に行ってたのになぁ。普段、ミュージカルを進んで見ないわたしには「RENT」は少しハードルが高かったのだった。

(よって新選組!飲み会の実施は、
もうちょっと先になりそうです……)

香取くんも「西遊記」終わったし、今の時期が飲み会によかったんでしょうか。あれだけの売れっ子の人たちが一同に集結するのは大層難しいだろうけれど、この文面からするとやっぱり耕史くんが幹事なんでしょうね、当然ながら。(笑) 
吉弥さんの日記にもそのうち記述が登場するでしょうか。






軽く『メゾン・ド・ヒミコ』後遺症の残る今日この頃です。

やはりこの映画を見た友人に「ボロボロ泣いてしまった」と言ったら、「…すごくいい映画だけど、泣かなかったよ」とアッサリ言われてしまった。
なんだ、わたしだけなのか、あんなに泣いてたのは。

レンタルDVDを返す前にもう一度見ておきたいと思ってもう一度見て、そうしてやっぱり同じ所でジーンとしてしまった。



『メゾン・ド・ヒミコ』のオフィシャルHPで初日舞台挨拶の映像を見たら、オダギリくんはかなり集客を気にしていた。彼の出る映画は集客力が足りないと言われてしまうので、と。犬童監督より集客を気にしてました。(笑)

犬童監督はデカイ人だったんだな。
オダギリくんの隣に並んで、頭一つデカかった。

最後に犬童監督が、「人に伝えるのがちょっと面倒くさい映画だったりするかも知れないんですけど、もしいいと思ったら、自分の言葉で誰かに伝えてもらえたらすごい嬉しいです。」と挨拶したのが印象的だった。

型に当てはまらない映画だから、結局この映画のことを誰かに伝えようとすると通り一遍の表現では伝わらない。自然に自分の感じたものを何とか表現できるような言葉に置き換えたり、見つけたりしたいと思うようになる。
この映画自体がわたしたちに働きかける作用を持っている。わたしたちの脳を刺激する作用を持っている。

「あぁ、面白かった」とか「いい映画だった」で終わらせない”モヤモヤしたもの”を内包していて、そのモヤモヤを吐き出したいと思わせる何をこの映画は持っている。

わたしの場合、そのモヤモヤしたものは「余韻」となって、いつまでもモヤモヤと漂っている。結局わたしの感じたことは上手く言葉にできない。
ただ、登場人物たちの(口には出さないけれど)相手のことを想い、そして相手から想われるという”気持ちの流れ”が、いつまでも余韻となって残っているのかも知れない。
そうしてその気持ちの漂流を見事に具現化したのが、あの細野さんの音楽なのだな。

今日、2度目を見て、やっぱりあんなに愛すべきブッキラボウな女の子を演じることができるのは、柴崎コウしかいないという確信に達しました。

この映画を言葉で語るのはとても難しい。
でも、心に何か引っかかるものを残してくれる映画であることは確かなのです。


【追】
この映画における「映像の力」は大きい。
映画なんだから当然と言えば当然だが、言葉で物語を語らない分、それを補う映像とその編集の素晴らしさが際立つ。
これはやはり「映像の人」が撮った映画だ。映像によって感覚に働きかけてくる映画にわたしは弱いのだ。






日本を離れて長くなればなるほど、そして生活の上で自分の母国語を使う機会が限られれば限られるほど、それに対する考えは深くなる。

わたしたちは、言葉の選択にもっと敏感であってもいいような気がする。

わたしの胸を締めつける文章として、東京オリンピックのメダリストでマラソン選手だった円谷幸吉の遺書を思い出す。




父上様、
三日とろろ美味しゅうございました。
干し柿、もちも美味しゅうございました。

敏雄兄、姉上様、
おすし美味しゅうございました。

克美兄、姉上様、
ブドウ酒、リンゴ美味しゅうございました。

巌兄、姉上様、
しそめし、南ばんづけ美味しゅうございました。

喜久造兄、姉上様、
ブドウ液、養命酒、美味しゅうございました。
又いつも洗濯ありがとうございました。

幸造兄、姉上様、
往復車に便乗させて頂き有難うございました。

正男兄、姉上様、
お気をわずらわして大変申し訳ありませんでした。

幸雄君、英雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄 君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、
立派な人になってください。

父上様、母上様、
幸吉はもうすっかり疲れ切って走れません。
なにとぞお許し下さい。
気が休まる事もなく、
御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。

幸吉は父母上様のそばで暮しとうございました。

1968年1月9日没 




これはわずか38年前に、28歳の青年が書いた遺書だ。

正月に福島の実家で家族親族が集まり、美味しいものを口にできた礼を述べる。
昔の日本人が頂き物に対して必ず礼状を出したように。
他人の骨折りに対して感謝を述べたように。

懐古趣味を振りかざすつもりは全くないのだけれど、青年が人生の最後に遺した家族に宛てたこの手紙に、心からの慈しみと純粋さを感じるのは古い人間だけなのだろうか。


この38年間に、わたしたちは何を得て何をなくしてしまったのだろう。
地球の裏側でそんなことをふと思ったりした。






himiko『交渉人 真下正義』を見た後に、『メゾン・ド・ヒミコ』が見たくて我慢できずに見てしまった。これがまた、180度違うタイプの映画なのですね。

この映画を、真夜中に、そしてヘッドフォンをして見たのは正しかったかも。決してセリフの多くないこの映画の一つ一つの言葉を聞き逃さないようにするのには、やはりヘッドフォンが必要だったと思う。
登場人物たちの言葉は、ひとつひとつ、呟くように吐き出される。

どうしてだかわからないけれど、わたしはこの映画が始まって5分ぐらいのところから既に泣けてしまって困った。結局この映画を見ている間じゅう泣いていた。この映画の持つせつない空気にしょっぱなからやられてしまった。

やっぱり真夜中に見たのもいけなかったのかなぁ。映画の世界にシーンとした真夜中はピッタリだったのだ。
翌朝、友人たちとレガッタ・バーの入っているホテルでブランチを食べることになっていて早起きしなければいけなかったのに、その真夜中にわたしはもうダム決壊状態。結局最後までグシュグシュ泣きながら見てしまった。

そんなわけで、翌朝は当然ながらものすごい腫れた目をして「どしたの?」と言われつつブランチを食べました。



この映画は全てに優しさと柔らかさに満ちた映画だ。オダジョーの微笑みから、細野さんの音楽まで。
社会では異端としてはじかれてしまう人たちの、居場所を見つけるためのドラマだった。

この映画の持つ静かさは、先述したセリフの少なさからくる隙間と、そこに漂う空気感から生まれている。

そのセリフの少なさに彼らが本当は言いたいけれど言えないでいる、伝えたいけれど敢えて言葉で伝えることをしない、そういう「無言の美」があって、それを見ているわたしたちが痛いほど察してしまう、その美しさが映画全体に漂っている。
これを「せつない」と言わずして何というのでしょう。見ている間じゅう、ずっと胸がキューンとなってしまった。

登場人物はみんな心に自分では解決できないものを抱えている。自分一人ではやっていけないから、仲間のいるところに集まってきて、そして支え合おうとする。

犬童監督の2003年の映画『ジョゼと虎と魚たち』でもそうだったけれど、主人公たちは不器用ながら自分たちの心の痛みを乗り越えて前に進もうとする。必ずしもいい結果ばかりではないけれど、それでも前進しようとするその再生の姿が心に残った。

映画のを見ている間、わたしはずーっとオダギリジョーと柴崎コウの顔をマジマジと見つめていた。本当に目が釘付けになってしまう顔立ちなんだもの。こんなに観る人を惹きつける顔――柴崎コウのふくれっ面も眉間のシワも、オダジョーの無精ヒゲも「愛なんか意味ねーじゃん…欲望が欲しいんだよ」と涙ぐむ瞳も、全ての表情が魅力的。そしてその全ての表情に引き込まれる。

この映画はこのキャストでなかったらどうだったんだろう、と余計なお世話を焼いてしまうほど、この2人の「顔」にやられてしまった。
もう演技がどうのこうのというレベルではなくて、とにかくこの2人の姿形でなければダメだったのです。

犬童監督は女の子より男の子を魅力的に描くのに長けている気がする。
『ジョゼ』の時も、わたしには池脇千鶴より圧倒的に妻夫木くんが魅力的だった。彼の美味しそうにご飯を食べる顔、屈託なくニコッと笑う口元、そういう自然な魅力が映画の中に溢れていた。
今回、ヒミコの娘・沙織を演じる柴崎コウも素敵なのだけれど、やっぱりオダギリジョーがこれでもか!というくらい美しい。

オダギリくんの役は少し輪郭がハッキリしない。彼の演じる春彦は、ある種謎の人物のような趣もある。彼自身について語られるシーンはほとんどない。どんな風にヒミコと知り合ったのか、ヒミコのどこに惹かれるのか、そういう説明は一切ない。ただ彼はヒミコを大切に思い、助けたいと思っている。

わたしが好きなシーンはいろいろあるのだけれど、一番好きなのはゲイの老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」で老人たちが庭で日向ぼっこをする時に、いつも彼がサンダル履きで老人たちの傍らに座って暖かく見守っている姿。その様子だけで彼が老人たちを思い、無言の優しさを注いでいるのがわかる。

そしてダンスホールに繰り出した翌日の、曇り空の海。
沙織と春彦に起こった出来事の余韻。
2人のザワザワする心の中を、まるで代わりに表現するかのように波の音がシーンを埋めてゆく。
デッキで、そして廊下のイスで、それぞれに無言で宙を見つめ、目を閉じる2人。静かな、そしていいシーンだ。

セリフのないシーンなのに、手に取るように彼らの心の揺れが伝わってくるのは、やはり犬童監督の心象風景の描き方と、脚本の渡辺あやのヴィヴィッドな脚本の巧さだ思う。

ヒミコが亡くなって、バス停まで春彦が送ってくれる時に彼の言葉に反応してグシャグシャに泣いてしまう沙織の姿に涙。
社会からは異質に見られてしまう、不器用な生き方しかできない人たちが精一杯に愛情を表現しようとするエンディングにまた涙。
あぁ、わたしはせつない映画に弱いんだってば。

映画を通して目の保養となる(?)オダギリくんの ”姿の美しさ”、これはスタイリスト・北村道子の本領発揮でありました。サンダル履きにシャツと細身のパンツ姿の彼の造形美を堪能する、それだけでも価値のある映画です。
もちろん、美しい映像と細野さんの美しい音楽と、そして優しい物語もこの映画を珠玉の作品にしているのだけれど。

サントラ、欲しいな。
余韻が、残るな。



【追】
DVDのインデックス画面に流れる細野さんのBGM(クラシックギターとピアノの曲)をずっと流しっぱなしにしていた。あまりに心地よくて。
そうして、このわずか十数小節ほどの短いフレーズの繰り返しがどうしてこうも飽きもせずに心地よいのかと思ったら、あぁ、これは波の音なんだ、と気がついた。
これをずっと聴いていたら、なんだか自然に眠りに落ちてしまいそう…。





あぁ、何だか愛機 Sharp Muramasa くんの反応が遅い。
こういう状況をわたしは【ガンダム状態】と勝手に呼んでいるのですが、つまりはオペレーターの要求にマシンの能力が追いつかない状況です。(笑)

子供の頃に初めて「ガンダム」を見た時、単なる勧善懲悪物語ではない、自分の潜在能力に目覚めていない主人公アムロが失敗を繰り返し、悩みながら経験を積んで成長していくという、見ている子供全てがアムロ自身なのだというストーリー設定に大きな衝撃を受けたのを覚えている。
それまでの戦闘だけのロボット・アニメと一線を画すこの人間ドラマがあればこそ、現在に至るまで絶大なる支持を集めているのだろうと思うけれど、その第一弾の中で特に印象的だったのが上記のエピソード。
ガンダムが上手く操縦できないのは自分のせいだと思っていたアムロだが、実際はアムロの潜在能力が開花し、ガンダム(マシン)の方が彼のオペレーションについていけなくなっていたという展開は、アムロの非凡さを描き出すのに十分過ぎるインパクトを持っていた。
マチルダ少佐のファンでしたが、お声は戸田恵子さんでしたね。

ガンダム話はいいとして、昨日『交渉人 真下正義』と『メゾン・ド・ヒミコ』を見たのでその感想を。
まずは『交渉人 真下正義』から。

*作品の内容に具体的に触れる部分があるので、これから見ようと思っている方はご注意ください。


mashita『踊る大捜査線』のスピンオフ企画第一弾の映画、『交渉人 真下正義』。
まず第一にスピンオフの企画が映画として製作され、ドラマの準主役を主役に据えてシリーズ化&映画化しても当たるという作品自体が希有です。
脚本を担当した君塚良一のキャラクター設定の魅力と、そしてこのドラマの一員であることを心から楽しんでいるような役者たちのハマリ具合がまたいいですね。

ユースケはバラエティに出ているのを見ると、どうも調子のいい人に見えがちなのに、なぜ「真下正義」だと頼りなげな人のいいお坊ちゃんに見えてしまうのか。しかもこの映画ではほどんどコメディリリーフなしでやたらカッコイイ真下正義。これぞ『踊る』マジック?!

今回は東京・地下鉄の最新鋭実験車両が乗っ取られる犯罪が発生、乗客200万人の命を救うために警視庁初のネゴシエイター・真下正義が犯人に立ち向かう、という設定。
ストーリーはスピードがあって飽きさせない。
ただ残念なのは、あちこちにハリウッド映画からの引用が目についてしまうこと。

例えば冒頭で真下が誰かと何かを交渉している。事件かと思いきや、実は恋人の雪乃さんとのデートの約束についての話だった、というオープニングはケビン・スペイシーの『交渉人』でやはり冒頭で同様に彼が交渉している相手が実は彼の幼い娘だった、というパターンと同じだし、クリスマスイブに発生するテロに巻き込まれて人質達を助ける設定は「ダイハード」を踏襲していて、尚かつあちらは第九、こちらはボレロのクラシック音楽が作品を盛り上げる重要なキーポイントになるパターンも同じ。公共の運行車両をテロの道具そのものにしてしまい、タイムリミットと闘わなければならないという設定は『スピード』と同じ気がする。

もしかしたらわたしの勘ぐり過ぎかも知れないけれど、『踊る』はもはや国民的エンターテイメントになっているから、「スケール大きくいきたい」という制作側の気持ちもわかるけれど、こう安易に連想を許してしまうストーリー展開でいいのかどうか。別にハリウッドを真似る必要はないんじゃないかな、とふと思ってしまう。

それでも面白く見てしまうのは、とにかくキャラクターたちへの愛に他ならない。ちょっと頼りなげだけれど、誠心誠意事件解決に臨むユースケの真下の外にもいいキャラクター設定があった。

今回登場した寺島進演じる木島丈一郎、これはまた新しいキャラクターの誕生ですね。ここでまた憎めない人を登場させましたね。

「メリークリスマスだよ、バカヤロー!」

もう、寺島さんの独壇場です。(笑)

TTR広報担当の西園寺刑事、じゃなくて石井正則のお芝居はちょっとわざとらしかったけれど、國村隼もTTRの総合指令長として責任感と漢気ある人物を好演していた。

相変わらずやたら声のいい高杉亘のSAT・草壁中隊長、そしてわずかな登場シーンながら魅せてくれるのが爆弾処理班の班長を演じる松重豊!寺島さんとこの2人はいかにも「頼れる男」を体現していてカッコいい。”ヒーロー不在のこの世の中に”というキャッチフレーズが『西遊記』でも使われていたけれど、やはりカリスマを持つ人物にエールを送ってしまうのはいつの世も変わらない気がする。最近はすっかり松重豊のファンになってしまった!

あと、コバさんとカマショーこと今井朋彦さんもオーケストラの団員でちょこっと(でも重要)出演していたことを記しておきましょう。

ストーリーは納得のいかない部分もたくさんあって、真下のネゴシエイターとしての交渉能力は本当にすごいのか?どうして犯人は真下に挑戦を挑んできたのか?どうして犯人は彼のコンサートの座席番号を知っていたのか?結局誰が犯人なのか?――これらは説明のないまま終わってしまうためにスッキリしない。

未消化なことも多いのだけれど、最後に真下くんがヘマをしながらも何とかイブの夜に雪乃さんにプロポーズできたということで、終わりよければ全てよし、ということか。
見ているわたしたちを楽しませようという、『踊る』精神あふれる作りは相変わらずで、純粋に楽しめました。

うちの兄が指摘していなければ完全に見落としていた点として、冒頭でTTR事故のニュースを読んでた女性アナが牧野エミだったことを付け加えておきます…って、こんなの大阪人でも気づかないっての!最後のクレジットすら見落としてたよ!気がついた貴兄はエライ!(笑)

暗転してラストのクレジットが上がってくるところでエルガーの「威風堂々」が流れるのだけど、これなんか、まさに「ダイハード」的!
母が「威風堂々」が大好きで、わが家でよく流れていたのでわたしも大好きな曲。なので現在「威風堂々」をBGMにこれを書いてます。
やはりマーチは気分を高揚させる効果がありますね。

それにしても、『交渉人 真下正義』に次いで『容疑者 室井慎次』でしょ、そして昨年末にSPの『逃亡者 木島丈一郎』(見てないので見てみたい)、そして今年の夏にはスピンオフのスピンオフ、『弁護士 灰島秀樹』というドラマも放映されるとか。ヤッシーまでも主役になってしまうのか。

いったいどこまで行くのか、『踊る大捜査線』スピンオフ。
と言いつつ、たぶん見ちゃうんだけど。





インターネットで森田芳光の『間宮兄弟』の予告編を偶然見た。
佐々木蔵之介とドランクドラゴン(実は見たことありません)の塚地武雅が主人公。なんだかオフビートな匂いがたちこめている。

とにかく映像の色がすごくいい。
予告編では白い色のトーンがブルーフィルターで薄ーく青っぽく見える。この少しだけクールな白が、恐らくこの映画のオフビートな間や、彼らの住む部屋の空間(家中ギッシリ本が詰まった本棚だらけ、でもきれいに整頓されてる)の生活臭のなさを表現するのに上手く働いている。

佐々木蔵之介が本屋で店員の沢尻エリカに声をかけるシーンがあったけれど(ここの佐々木蔵之介がカワイイ)、なぜか本屋のシーンって好きだ。
『ジョゼ』の時の妻夫木くんと荒川良々、『エターナル・サンシャイン』の時のジム・キャリーとケイト・ウィンスレット。不思議とどの映画でも本屋さんの空気って同じだ。

中島みゆきが間宮兄弟のお母さんを演じている。予告編を見る限りでは相変わらずの「中島みゆき」だった。風変わりでおっとりした感じのお母さん(若すぎ?)、という雰囲気。でも実はわたしはちょっと中島みゆきのお芝居は苦手なのですが。

次から次へと若手のお笑いの人が出てくるから、日本のスピードで日本のTV番組を見ていないと知らない人がいっぱいだ。
「ドランクドラゴン」として塚地くんを見たことはないけれど、以前に「はねるのトびら」で彼がブサンボマスターとしてサンボマスターの山口くんの真似をしていたのだけ見たことがある。関係ないけど「武雅(むが)」って。ご両親は竹脇無我を意識したのかな。(笑)
予告編や「はねトび」のわずかなパフォーマンスしか知らないわたしには彼の本当の魅力がわかってないのかも知れないけれど、イマイチ塚地くんに「何か」を感じないなぁ。「あっ、この人、何か持ってるぞ」という才能の片鱗を感じさせるワクワク感がないというか。
期待しない、または予期しない人から、今まで全く見せられたことのなかった部分を見せられた時の驚きと興奮というのは、何とも言えない。
そういう、何かキラッとしたものを持った人にやっぱり惹かれてしまうんだな。

予備知識を持たずに予告編を見たら、これが森田芳光の作品だって気がついただろうか。
アトミックエースの配給だし、配役も豪華だし、原作だって江國香織なんだけれど、作品テーマはミニシアター系。実際上映館も恵比寿ガーデンシネマのようなミニシアター系だけれど。その辺が森田芳光のイメージと少し違って感じるのかな。そういう意味では彼のフィルモグラフィーの中の『(ハル)』に最も近い映画かも知れない。

今は懐かしき「パソコン通信」で知り合ったハル(内野陽聖)とほし(深津絵里)が、お互いの素性を隠したまま交流を深めていくストーリー。
映画のエンディングが2人にとってのスタート、という爽やかさはノーラ・エフロンの『めぐり逢えたら』(トム・ハンクス&メグ・ライアン)にも通じるけれど、主役の内野さんと深津っちゃんがとにかく初々しく、そして魅力的。
実は『家族ゲーム』よりも『それから』よりも、『(ハル)』が森田芳光作品の中でわたしの最も愛する映画だったりします。

5月公開なのでもう試写会などが始まっているようですが、観た人の感想(ちょっと読んでしまった)では、このテーマで2時間は少し間延びして長い、と。予告編は15秒に収めてあるから、面白いところが凝縮してある感じだけど、その意見は何となくわからないでもない。
原作が短編なのか長編小説なのかわからないけれど、雰囲気は何となく短編の1つ、という感じだから、作品の雰囲気からすると短めがちょうどいい感じもする。まぁ、見てないから何とも言えないけれども。

それにしても佐々木蔵之介は快調です。好きです。
彼は「惑星ピスタチオ」で芝居を続けつつ、大阪の大手広告代理店「大広」でサラリーマンも経験している。彼が大広で営業マンをしている頃にわたしも大広さんと仕事をしていたから、もしかして佐々木蔵之介にも逢えたかも、なーんてつまらぬことを考えたりして。ふふふ。

そんなわけで、『間宮兄弟』の15秒の予告を見ただけでこんだけ引っぱる自分にも呆れつつ、映画の持つトーンはその15秒に凝縮されていたことを書き留めておこうっと。

ちなみに『間宮兄弟』とは全く関係ありませんが、NHKの『トップランナー』のHPによると、4月30日のゲストが向井秀徳でした。
向井ファンの皆さん、見逃すべからず。

【追】(4/23/06)
公式HPにある予告編を15秒だとばっかり思っていたら、実は2分ぐらいあった。さすがにあの情報量を15秒にまとめるのは無理か。
というわけで、「2分」に訂正です。





わたしにはいくつか自ら進んでは使わない言葉があって、それはただ何となく、その言葉を選んで使うことに抵抗を感じるので、というとても個人的で曖昧な理由から。

その代表格が「ウザい」という言葉。
これはいつから一般的に使われるようになったんだろう。少なくともわたしが子供の頃はこういう言い方はしなかった。わたしは大阪出身なのだけれど、大阪以外では普通に使われていた言葉だったのだろうか。

「ウザい」はきっと「うざったい」という言葉が母体なのだろうと思うけれど、「ウザい」と「うざったい」ではこの言葉の持つパワーが100倍ぐらい違う気がする、と思うのはわたしだけかな。
わたしの中では「ウザい」は必要以上にそこ言葉の対象となるものを傷つける要素が含まれているような気がしてならない。

「うざったい」という表現は関西ではほとんど使われない。少なくともわたし自身がこの言葉を使ったことはこれまでの人生の中で一度もない。(笑)
関西だと「面倒くさい」ですね、きっと。もし関西人で使う人があったらすみません、あくまでもわたし個人の尺度で書いてしまって。


話は戻るけれど、「ウザい」と「うざったい」はもはや使い方や用途も違うと思うので比べてみても仕方ないかも知れないけれど、「ウザい」という言葉の持つ破壊力はわたしにはかなり強烈だ。
どちらも「煩わしい」という意味合いで使うのが基本だけれど、「ウザい」という言葉を選ぶと、その言葉の使用者がどれだけその状況を疎ましく思っているかという気持ちが、ものすごく端的に表現できる気がする。

「もう、とにかくわたしの視界から消え去ってくれよっ! その存在自体が邪魔なんだよっ!」

このぐらい「ウザい」には憎々しさがこめられているように感じてしまう。なんだか悪意に充ち満ちている気がしてならない。舌打ちさえしてしまいそうな勢いだ。
「うざったい」ではそれほどでもないのに、「ウザい」になるとどうしてこう憎しみの気持ちが倍増してしまうのか。
いや、世間ではもっと軽い気持ちで使われているのかも知れない。けれどもわたしには「ウザい」をそう軽い意味で捉えることができない。もう、存在を「全否定」しそうな勢いを醸し出しているんだな、なんか。

概ねこの言葉は自分の感情を逆撫でする人に対して使われることが多いから、決していい言葉ではないのだけれど、この言葉の持つそういったナイフでバッサリ切ってしまうような語感がやっぱり好きになれず、そして使おうという気にもなれない。


ここ何日か、経理のヘルプとしてある年輩の女性がオフィスに来て手伝ってくれている。その人はその道のプロで、とても仕事のできる人なのだが、とにかくお喋りが好きなのだ。そして愚痴も好きなのだ。
そうやってお喋りと愚痴に費やしてる時間もお給料が支払われているのかと思うとそれはそれで筋が通っていない気もするが、とにかくお喋り好きなので、何か少しでもチャンスを見つけたら話し掛けられてしまい、切れ目がないので仕事がなかなか進まない。

すごく親切でいい人なのだが、スキを見せてはならない。
なので仕事以外に神経を使ってしまって、疲労が重なるばかりではないか。えーん。
そんな小さなストレスを抱えつつ、その姿がチラチラと視界に入るたびに頭に浮かんだ言葉が「ウザい」なのだった。

英語だと「ウザい」に恐らく一番近い言葉は "annoying" じゃないかと思うのだが、もう、ノドのところまで出かかってしまった。 

" You're so annoying!"  

まさにこれは 「うっぜぇーんだよっ!」 に他ならない。
あぁ、そんなにイライラしていたのか、わたし。疲れてるぞ。

日本語だとあんなに使わないでおこうと思っているのに、なぜ英語だと抵抗なしに言えてしまうのか。(実際は言わないけど)
でも英語でこの表現を使ってもやっぱりすごく強い語感だというのは変わりないような気がする。もし誰かがそう言ったら、やっぱり「なんかトゲのある言葉だなぁ」と感じるだろう。

こういうテーマだと宮沢章夫の文章が断然冴えそうだなぁ。
なんだか彼のエッセイが読みたくなってしまった。彼の物事を見ている視点が面白いんだな、どれも。

ちなみにわたしの中で「ウザい」に次ぐ「使わない言葉」第2位は「小賢しい」だろうと思います。しかし、もはや誰も使わない??

どっちにしても人を忌み嫌うようなニュアンスと、相手の存在を否定してしまうぐらいキツイ響きを持った言葉だと感じてしまうんでしょうか。

なるべくならこういう事が思い浮かばない生活を送りたいものです。





昨日からガッカリすることが続いてしまった。

1つは16日にNHK BS-hiで、【蔵出しハイビジョン】『いま裸にしたい男たち―三谷幸喜』の再放送があり、見事に放送が終わった直後にそのことを友人から教えてもらったこと。…がびーん。

ハイビジョンは確かわが家でも映らなかったからあきらめるしかないのだけれど、すごく見たい番組だったので悔しいなぁ、見られないのが。三谷さんが子供の頃撮った8ミリの映像なんかも流れたんだよね、確か。
4月から毎週日曜の夜10時に【蔵出しハイビジョン】として、過去に評判のよかった番組を順次再放送する企画だそうなので、BS-hiを見ることのできる方はラッキーですね。ちなみに放送日は未定のようですが、藤原竜也くんの『いま裸に…』の再放送も予定されているようです。あぁ、見たいなぁ。


2つめは、今朝すごく気に入ってよくつけていたピアスの片方を無くしたことに気づいたこと。いつもは家に帰ったらすぐはずすのに、昨日ははずし忘れていて、朝シャワーを浴びた時に片方ないのに気がついた。
がびーん。

あぁ、見事に「マーシャルの法則」だ。どうしてなくすのは気に入ったやつなのか。まぁ使う頻度も上がるからなくす確率も高いとはいえ、これまで一度だってはずすのを忘れたことがなかったのにーぃ。(涙)
それでいて、思わぬところでふと見つけたりして、手元に戻ってくることもあるから、わずかな望みを捨てずに注意して掃除しよう…。くすん。

3つめは、今日はマサチューセッツ州の祝日で、毎年この日にボストンマラソンが開催されるのだけれど、こちらに来て初めてマラソンを応援することができなかったこと。
学校や公共機関は当然ながらお休みになるので、先週末のイースターから続いて3連休が楽しめるのだけれど、一般企業や商店は関係なくオープンするのでお休みじゃなかった。

今年も村上春樹はきっとボストンを走ったはずだ。
以前にラーメンズの『日本の形』でうちのBlogをTBしてくださったsatomiさんのBlog「Long Tale World」でのエントリを発見。今年もきっと今頃村上氏は「リーガル・シーフード」でロブスターを食べてるはず。
それにしてもフランツ・カフカ賞を受賞していたことは知らなかった。これはノーベル文学賞の前哨戦なのか。

経済紙ホスポダージュスケー・ノビニは「村上氏は(ノーベル文学賞授賞式が行われる)スウェーデン行きの航空券を手配しなければいけないだろう」と伝えた。

ひぇー。
村上春樹はどこまで走り続けるのだぁぁー!





今日はものすごくいいお天気で、24度ぐらいあったのに風もあったから汗もかかない爽快さ。買い物ついでに散歩も兼ねる。JFKが生まれた家が近所にあって(そう、彼は我が街で誕生したのだ)買い物の帰りにその辺りを音楽をお供にテクテク歩く。

今日は一日、ジェイミー・カラムの「Lover, You should've come over」がヘビーローテーション。
オリジナルは30歳で早逝したジェフ・バックリー(ティム・バックリーの息子)で、まだ彼の傑作デビューアルバムと言われる『Grace』を通して聴いたことがないのだけれど、その中の1曲「Hallelujah」がこちらの人気ドラマで使われて、また彼の音楽の素晴らしさが再確認されている。

「Lover, ....」はこの『Grace』に収められていて、ジェフ・バックリーの魂を絞り出すような歌声が見事。でも、わたしはジェイミー・カラムの歌とアレンジも大好きで、

So I'll wait for you and I'll burn
Will I ever see your sweet return
Oh will I ever learn

Oh lover, you should've come over
'Cause it's not too late

のさびの部分のアレンジが特に素晴らしいのです。
ヘッドフォンでこの曲を聴きつつ散歩するのは殊の外気持ちよかったなぁ。
でも、やっぱりボストンは春がなくていきなり夏になっちゃうんだな。2週間前ぐらいには雪すら降ってたっていうのに。もう町中はタンクトップと短パン、ビーサンの人たちであふれてた。

そんな気持ちの良い午後の散歩を終え、家の掃除と洗濯をやっつけてコーヒーを飲みつつ最終回を迎えた『爆笑問題のススメ』を見ました。


爆笑問題は彼らがデビューした頃から見ている気がする。
デビュー時から太田光は群を抜いてセンスが光ってたなぁ。

それにしても彼は相当屈折している。
借りてきたDVDには4回分入っているのだけれど、最後の2回はゲストが松田美由紀の回と、番組の最終回で自身が「先生」となったもの。

太田光の松田優作ファンぶりというのはつとに有名だけれど、彼が松田優作の大ファンであることを知ったのは『タモリ倶楽部』だった。

もう軽く10年ぐらい昔の話になってしまうけれど、『タモリ倶楽部』で「松田優作マニア」を決める特集があって、そこには芸能界で松田優作通と言われている有名人やタレントが出ていた。まだ若手の芸人だった太田光はその時から既に”優作マニア”ぶりをいかんなく発揮していたけれど、今回の優作夫人を迎えた回ではさすがに熱かったですねぇ!

最終回は自らが先生となって、「死ぬまでに読んでおくべき3冊」ということで、彼が影響を受けた本を3冊選んで推薦する、という内容だった。
彼が選んだのは太宰の『晩年』、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』、サリンジャーの『フラニーとゾーイ』、そして総まとめとしてカート・ヴォネガット・ジュニアの『タイタンの妖女』。
以前、『anan』に載っていたキムタクのインタビューで「太田さんに勧められていま読んでいる」とキムタクが言っていたのがまさにこのヴォネガットの『タイタンの妖女』だった。みんなに勧めてるな。(笑)
ちなみに彼らの事務所の名前である「タイタン」はこの本のタイトルから取られたものだ。

このチョイスを見てもいかに彼が繊細で傷つきやすい人なのかが手に取るようにわかる。
松田美由紀がゲストの回で、彼がどうして松田優作をあんなに敬愛するのかという片鱗が少しわかった気がするのだが、それは彼がいろいろと思い悩んだりする時に、松田優作が常に彼の前にいて背中を押してくれる存在であるから、と語っていた。

他人からどう思われようとも、自分の信じるものに対して正直であり、そして自分の考えを伝えることを遠慮してはいけない、言わないで後悔するなら言って批判を浴びた方がよっぽどいい、そういうことを松田優作の生き方から学んだということを、話し相手を見ることもなく、下を向きつつ、彼は一生懸命伝えようとしていた。
決して話上手ではない彼の、言葉を選びつつ真剣な顔つきで顔を真っ赤にしながら自分の思いの丈を熱く語る彼の姿は、10年前に『タモリ倶楽部』で優作マニアぶりを発揮していた彼と全く変わっていなかった。

彼はよく「高校時代は友人が1人もいなくて、ずっと本を読んでその世界に逃避していた」と言っているけれど、他人が自分をわかってくれなくても、本の世界に自分の姿をみつけ、そこに生きている証を求めていたという。彼を救ったのは松田優作であり、太宰であり、宮沢賢治であり、サリンジャーであり、ヴォネガットだった。

毒舌を吐きつつ、実は誰よりも自分のことを他人にわかってもらいたい、生きているという実感を味わいたい、そのことに彼が一生懸命であればあるほど、彼の寂しがりやの一面と、クレバーさと、そして繊細さを見るのだ。彼はそれこそ17歳の頃からずっと自分を見つめ、探し続けてきた人なのかも知れない。

彼は自己模索と自己探求を、お笑いという一見それとは正反対に位置していそうな職業に就きながらずっと続けてきた人なのだ。そういう意味では北野武に最も近い人だなぁ。

自分の中に揺るぎない心の拠と知識を持った人は、繊細そうであっても実は強い人だと思っている。ある種の宗教のようなものだ。
そういうものに特に多感な時期に出会うことは非常に重要で、出会えることができた人はやはり幸せだと思う。やはり若い時期に多くの本を読んでおくことは大切だ。

よそのお宅にお邪魔しても、つい見るとはなしにどういう本やCDやDVDがラックに並んでいるのか見てしまうことはないですか。
ステレオタイプに陥ってはいけないものの、これらはその人を知る上での結構確かな手がかりなったりする。

太田光の部屋の書棚を覗いてみたかったりします、ちょびっと。





4/14の正午から、『新選組!! 土方歳三最期の一日』のコメンタリーキャストの販売が始まっていたので、早速購入して聴いてみました。

セルDVDの購入特典として、スタッフや出演者のコメンタリーというのは今やはずせないサービスの1つですが、今回のコメンタリーキャストはなかなか聴き応えがありました。

先日レンタルで見た『青い春』にも豊田監督と出演者たち(松田龍平、新井浩文、大柴裕介、高岡蒼佑)のコメンタリーがついていたので聴いてみましたが、監督も含めみんなの年齢が近いせいか、ハッキリ言って高校の昼休みに教室や学食でワイワイ喋っているような内容だったため、これと比較すると今回のこの『新選組!!』のコメンタリーの情報量のはすごいです。

この特典を利用しようとする人が何を聴きたいと思っているか、という配慮がもう、全然違う。ひとつはこのドラマの作り手の”熱さ”というのが元来並々ならぬものがあるからだとは思いますが。

以下は内容に触れているので、これから聴こうと思っている方はご注意ください。


とりあえず、コメンタリーを聴くにあたって映像と共に聴かないとよくわからないだろうと思ったので、まずはラップトップをリビングに移動し、DVDプレイヤーに『新選組!! 土方歳三最期の一日』のDVDをセットし、コーヒーを入れ、出来上がるまでにトイレにも行って、万全の体制で臨みました。
ちゃんとドラマがスタートする前にカウントダウンが始まって、時報みたいなサインが鳴り、そこから映像と湖面タリーを同時スタート。

まず意外だったのは、三谷さんのコメントを聴いてると意外に三谷さんは演出プランを知らなかったんだなぁということ。もっと吉川さんたちといろいろと話し合っていて、演出に関してももっと関与しているのかなと思っていたけれど、ホンを書き終えたら後は本当に演出家にお任せしているんだなぁ。

三谷さんは何かにつけて目立ってしまうから、どうも彼がドラマの全てに携わっているかのように思ってしまいがちだけれど、吉川さんに対する「これはどこで撮ったんですか?」「これはセットですか?」「これはどうしてこうなったんですか?」なんていう素朴な質問を聞くと逆に何だか「あ、そういうのは三谷さんは知らないんだ」と、ちょっと新鮮な驚きでありました。

以前に別の回のポッドキャストを聴いたことがあるのだけれど、演出の吉川さんは滑舌よく、アナウンサーのように声も通って、お喋りも滑らかで上手なので聞いていて安心感がある。ちょっと山下達郎のしゃべり方に似てる。(笑)
そして何より彼の『新選組!』というドラマに対するこだわりの数々が聞けて面白いです。

このドラマをお正月以来全く見返していなかったから、今日3ヶ月ぶりぐらいでもう一度見たわけですが、コメンタリーを聞きながらもう1つ思ったのは、視聴者(わたし)は思ったほど作り手の演出プランをわかってなかったんだなぁ、ということ。(笑)
吉川さんは「10回見て10回目にわかる、というように作ってみた」って仰ってたけど、確かに彼のこだわりの数々は至ることろに見られました。

市川鉄之助を演じた池松荘亮くんをまた「可愛い」「いいよねぇ」と絶賛のお3人。特に耕史くんの彼への寵愛ぶり(?)は健在でした。(笑)

そして試衛館ズのシーン。
近藤の不在について、三谷さんはやっぱり『ゴッドファーザー Part II』 を意識してたんだなぁ。あのラストシーンをここでもイメージしてたと。

それにしても三谷さん、照英さんのことを話してて何度も「島田さん」って役名で呼んじゃうのが笑っちゃう。
他にも聴いてていくつか吹いてしまうポイントがあるけれど(たぶんみんな同じ部分で笑っちゃうんじゃないかと思いますが)愛之助さんのアップのバックで三谷さんが

愛之助さんって、ちょっとライオンの赤ちゃんに似てる感じが…

と言ったのには大笑いしてしまった。 あと、

京本正樹もビックリ…だね

っていうの。(笑)

後半になるとあのディスカッションの場面が続くので、吉川さんと耕史くんの撮影苦労話が登場しますが、見ている方としては実はそれほど「1シーン1カット」へのこだわりというのは気になっていなかった。
これは作った人(見せる側)にはガックリくる話かもしれないけれど。

ドラマの流れを止めないでずっと撮影するから、自然に役者の方の感情の高まりや偶然性が映りこみやすく、面白いシーンが撮れることが多いのだろうと思うけれど、何というか、実は作り手が出したい効果がこれによってどこまで見ている側に伝わっているかというのは、意外に難しいんじゃないかなぁと思ったりもする。

例えば『流山』での有馬藤太と近藤の対峙シーンではこの1シーン1カットによって、あの張りつめた緊張感がものすごく生きてて、あれは『新選組!』のエピソードの中でも出色のシーンだったと思うんだけど、そう言えば確かあの回の演出も吉川さんのでしたね。(笑)
でもあまりに「長回し」を多用すると違和感なく溶け込んでしまってその効果が生かされないんじゃないかと。
そんなわけで、わたしの場合は「ここぞ」という時以外に「長回し」を使って演出されていても(作り手が意識しているほど)あんまりそれを意識してない、ということに改めて気がつきました。
これはやっぱり演出家のコメントが聞けることの醍醐味ですね。

それにしても、ものすごく多くのシーンで合成と映像の特殊技術が使われてたんだなぁ!吉川さんの「ここも合成ですね」「ここも消しました」「これも消しました」というのを聞くと『新選組!』もお金かかってるなぁ。(笑)

今回コメンタリーを聞いての発見は、全編に渡る吉川さんの演出意図として、太陽や空、月の映像インサート、俯瞰での画などが「天国の近藤勇からの視線」として、「天上から土方を見下ろしている」ということを意識してのものだったということ。なるほど。
そして土方の最期の彼の微笑みも、かっちゃんの「トシ…《次に何をしようか?》」の、《次に何をしようか》 への返答の微笑み、というのがわかって収穫でした。
わたしは単純にかっちゃんと再会できたことの喜びの笑みかと思っていたので、香取くんの、セリフにはなかった《次に何をしようか》という気持ちにの方に、ここで耕史くんが応えていたという演出が心憎かったです。

今回このコメンタリーを聞くにあたって、もう一度『土方歳三最期の一日』を見たわけですが、コメンタリー・メインで見たこともあるためか、やはりドラマとして何度も見返したい、という気持ちには正直ならなかった。
かといって、このドラマが全くつまらないわけではなくて、ただ『新選組!』49話への思い入れがあまりに自分の中で強すぎるために、その気持ちとこのSPへの思いとのギャップがあまりにも大きい、というのもあるのだけど。

コメンタリー最後に、耕史くんが収録日の少し前にまた第1話を酔っぱらって見た、という話を聞いた三谷さんが呆れて、

「僕はあのぅ、山本耕史がいまだに第1話を見てるというのが、嬉しくもあり、ショックでもあると」

と語っていたのが可笑しかったです。
コメンタリーキャスト、情報量てんこ盛りですごく聴き応えのある90分でありました。これはお買い得ではないでしょうかね。





お出かけ時のお供としてMP3 Player はわたしのはずせないアイテムの1つなのだが、なぜかヘッドフォンには縁がなく、こちらに来てから少なくとも4つぐらいはヘッドフォンを買い直している。

別に雑に扱っているわけではないはずなのに、大抵はヘッドフォンのコードが二股に分かれる部分のワイヤーの接触が悪くなって、片方からしか聞こえず、モノラル音声で聴かなくちゃいけないはめになったりする。

先日もまだ買って2ヶ月もしないヘッドフォンが、もう片方聞こえなくなってしまった。やっぱりわたしの扱いのせい??
しかもこれは時間がなくて間に合わせにコンビニでちょっと安物を買ったものだった。

新しいのを吟味して買いにいく時間がないので、仕方なく家にあったルームメイトのヘッドフォン Sony MDR-V300 を借用することにして、ここ1週間ほどお出かけ時もこれで音楽を聴いていた。



これは携帯用の折り畳み式のオーバーヘッドタイプのヘッドフォンなので、当然ながら音質はかなり向上する。
電車に乗りつつ聴いていても、完全に音楽の世界に没入してしまうので、この間なんか朝電車に乗っていてちょっとウトウトしたら、降りる駅を乗り過ごしてしまった。

あまりに聴き心地がいいので、これまでのようにお出かけ用だからと、チャチなヘッドフォンを買うのはやめて、インターネットで検索をかけてリサーチし、ちょっといいやつを購入することに決めた。
ルームメイトの使っている Sony のが重くなくデザインもシンプルで使いやすいので、そのあたりで探っていると、ノイズキャンセラー仕様のものでお手ごろ価格で評価もそこそこ、という Sony MDR-NC6 Noise-Cancelering Headphones が悪くないみたいだ。

mdr-nc6それほど音にこだわりのある人間でもないので、$100 以上もするような高価なヘッドフォンは買えないけれど、でもやっぱり音楽はいい音で聴きたい。

このヘッドフォンはノイズキャンセラーをONにしている時にはかなりの効果を発揮するとか。だいたいは騒音激しい地下鉄(こっちの電車は相当うるさい)に乗っていて聴くことが多いから、ちょっと試しに使ってみるか、と。たまたまこの商品はAmazonで Free Super Saving Shipping の対象商品にもなっていたから、55%OFF だった上に送料もタダになり、今が買い時かも知れないなぁと思って買うことにした。

一応念のために「価格.com」でも値段と口コミ情報をチェック。
日本円と比較すると大体1200〜1300円違いぐらいの価格差なので、さほど大差はないみたい。この性能でこのコストパフォーマンスはそう悪くもないみたいだったのでアッサリとオーダー決定。
「MDR-D66SL」にもちょっと心揺れたけれど、こっちでは発売されてないのかなかなか見つからない。まぁいいや。

あぁ、届くのが楽しみ。
しかしランチを注文するのに悩む割には、こういう物を買う時の躊躇のなさというのは我ながら可笑しいなぁと思う。
来週中にはデリバリーされる予定なので、楽しみに待っていよう。

しかし世間では春物の洋服でも買おうかというこの時期に、こういうものをウキウキしながら選んでいる時点でわたしの価値観の座標軸は微妙にどこか違う方向にズレてってる気がしないでもない…。

まぁ、いっか。






引っ越し日記 【一応荷出し完了篇】

あぁ、もうヘロヘロです。
朝9時半にSomerville にある日通に荷物を運んできた。
何とか頑張って4箱に収め、1箱だけ郵便局から送った。

箱を作っては重量チェック、というのを繰り返していたんだけど、その都度30kgの荷物をスケールの上に載せるという作業は腰にきました。
当然ながら規定のサイズ&重量をオーバーすると追加料金を請求されるのでとにかく30kg(66パウンド)を超えないように微調整しながら荷物を入れていく。

雨の中、日通のオフィスに着いて荷物を降ろすとすぐに重量チェックが待っていた。4つの荷物を一つずつチェック。
お〜、4箱とも62〜63パウンド!
つまりは1.3〜1.8kgの範囲内で荷物を詰めきったわけで、ちょっと感動。
素晴らしい!(笑)
もう、無駄なく目一杯許容量を使い切った満足感です。(なんじゃそら)

しかしその後 Goodwill という Non-profit のオフィスに洋服や持って帰れないものをドネイションしに行き、その足で郵便局に回って最後の1箱を送り、お隣にあるわたしのメインバンクに寄って口座を閉じる手続きをする。
その後借りてたDVD(結局『博士の愛した数式』と森山未來くんの『スクールデイズ』は見終えられなかった…つか、無茶!)を返却しに行き、大手事務用品ディスカウントの Staples に寄って必要&重要書類のコピーを取り、いつもの歩き慣れた散歩道を雨の中、トコトコと歩いて帰ってくる。

はー、一応今日中にやらなければいけなかったことは All Set。
でもまだ部屋の荷物はほとんど減ってない。今日は雨だから処分しようと思っている家具も出せない。ちぇっ。これは明日の朝になってしまうなぁ。

とりあえず、今晩はちょっとだけゆっくり寝たい。
ただ、それだけ。





昨日からバスルームの水ハケが悪くて災難!
ご近所の友人宅にもらい湯に行かねばならない始末。日曜だったからとりあえず急場しのぎでシンク下のパイプだけは修理してもらったものの、バスタブの水ハケは全然ダメ。アパート管理会社のメンテナンスの人は「明日の朝には修理の者が来るから夜には直っているはず」と言ったのに、今日仕事から帰ってきたら全く手をつけた様子もなかった。まるで昨日仮修理に来た時と同じ状態。
本当にうちの不動産屋は全然ダメだ。

はぁ。
疲れているってのに!
修理が全然できていないことを管理会社に電話で詰問するも、営業時間外だからと全く話にならない。くそう、こういう時にガガガーッとまくしたてられるようになれば本当に胸がスカッとするのになぁ!
きぃーっ!

そんなフラストレーションを抱えたまま、友人から借りてきた『アンフェア』の10回と最終回を見る。

あぁ、こんな精神状態で見るんじゃなかった…。
いや、普通の精神状態で見ていても同じだったかも知れないが…。

ちなみに以下は思いっきりネタバレしてます。念のため!


アンフェア2もう、またもやダダ泣きですわ。
どうした、わたし。 もう最近何だか涙もろいぞ。単にトシなだけなのか。

いやー、もう、瑛太くん、いいっ!上手いっ!(笑)
初回から最終回まで、彼の爽やかで屈託のない笑顔がどれだけこのドラマに安らぎをもたらしていたことか。そして結果的にあの笑顔がどれだけ多くの人の涙を絞ったことか。そのぐらい、君の存在はあのドラマの中で愛されていたというのに。

あの個性派の百戦錬磨のキャストの中で、最年少としてあんな重要で複雑な役を与えられ、そして見事にその期待に応えた彼の演技と存在感は評価が高かったことでしょう。何というか、芝居をしている彼がというより、そのナチュラルさが素晴らしかったんですが。
ますます瑛太くん株上昇です。

憎しみながら愛情も捨てきれない、この複雑な心境を彼は繊細な表情で、でも自然体で演じてみせてものすごく可能性を感じさせました。本当に、隣にいる若者的な親しみやすさを持っているのに、そこはかとなく漂う繊細さと包容力と。
昨日見た『青い春』の彼は少年みたいだったけれど、『アンフェア』の瑛太くんは「若者」だったなぁ。『ウォーターボーイズ』ではどうだったんだろう。気になるなぁ。(笑)

篠原涼子のアップにおける瞳の輝きの美しさよ。
瑛太くんが彼女に対する復讐心を糧に生きてきたにも拘わらず、その彼女に惹かれてしまうという心理設定を説得力のあるものにしていました。欲を言えば、彼女に感情移入することがあまりなかったのが残念だったけど。

最終回は15分拡大版だったわけですが、最初の20分で真犯人がわかってしまい、38分の時点でその真犯人は射殺される―後の35分はどないすんねーん!と思っていたけど、全く飽きさせることなく魅せましたですね。

安藤の雪平への最後のメッセージであるDVD、これを雪平が見るシーン、ここで50分。ここの瑛太くんの独白がまた泣かせる。彼は覚悟を決めてこのビデオを撮っているであろうに、彼のこの落ち着きと穏やかさを見るとまた切なくなる。だぁーっ。(涙)

そのままエンディング曲が流れてきて、キャストのテロップが上がってくるバックにいつものように雪平が一人歩く姿から始まるのだが、最終回はそこから安藤(瑛太くん)がこれまでどのように犯行を重ねてきたか、その全貌がわかる映像がずっと映し出される。
このカットは不要だった、という人もいるみたいだけれど、わたしはお腹一杯なんだけどまだデザートがあった!という感じで非常に満腹感を味わうことができてよかったです。安藤もまた社会のアンフェアを憎む存在としては雪平と同じだったはずなのに。
特に彼が雪平に撃たれることを知っていて(望んで)あえて自分の銃の弾を抜いていく時の無表情な様子とか、雪平に撃たれた瞬間の彼の放心した表情はすごく印象的で、編集の上手さも光ってました。

最後に、このドラマを盛り上げていた劇伴も素晴らしかったことを書き残しておかなければ。住友紀人の音楽が秀逸でした。この音楽がドラマを盛り上げた部分も多いにあった。『ケイゾク』の見岳章の音楽もよかったけど、『アンフェア』の音楽もいい仕事でした。
デスティニーズ・チャイルドの「サヴァイヴァー」がこのドラマに必要だったかはよくわからないところですが。

間もなくまた1〜3月期クールのTVドラマ大賞がいろいろ発表されるのでしょうが、瑛太くんはきっと賞を獲るんじゃないかな。
獲るといいな。

ストーリーの破綻や展開の甘さも指摘された『アンフェア』でしたが、個人的には十分楽しみました。
『時効警察』も『西遊記』も『アンフェア』も、なかなか面白かった1〜3月期のドラマでした。







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