今日は午後からひどい雨になった。
朝から気温は33度にも上がって暑い1日だなぁ…なんて思っていたら、ものすごい落雷とともに大雨になった。お陰で涼しくていいけど。
わたしはまだ「新選組!」を引きずったままだ。
うーん、なんて影響を受けやすいんだ、わたし。まぁ、昔からそうなんだけど…。
★この雑文では最終回について触れている箇所があるので、放送はとうの昔に終わり、DVDも発売されているけれど、これから見るので知りたくない、という方はどうぞ読まないでください。★
三谷幸喜はコメディを得意としているけれど、ギュウッと胸を締めつけるような話をたくさん書く。
いつもウィットに富んでいるからついつい笑ってしまうのだけれど、でも笑いの中に秘められた三谷さんのロマンチストな部分に、センチメンタルな部分に、必ず反応してしまう。
「新選組!」では、沖田総司がいつもその部分を担っていた。
多摩にいた頃の総司はまだまだ子供で、やんちゃで、屈託なくて、若さの象徴だった。とりわけ強い信念があるわけではなく、慕っている近藤や土方と共に自分の剣を磨きたい、ただそれだけでくっついていた青年だった。逆に彼がそうであったから、その濁りのない純粋な彼を皆が愛した。
多摩編の頃、近藤と土方の青年時代を描いているから、当然ながらこの2人が常に話の中心だった。
特に山本耕史は際立って存在感を示していて、主役の慎吾くんよりも圧倒的に魅力を放っているようにも見えた。だから、キャストのビリングがいつも藤原竜也に次いで3番目に位置していることに違和感を感じていた。「山本耕史が2番目でいいんじゃないの?」と。
そのぐらい前半のパートは圧倒的に"山本耕史"だったのだ。
浪士組が京に上った後は、芹沢鴨が話の中心になった。
「大将」じゃなきゃ拗ねるけれど、人と群れたり仲間をまとめたりすることはできない一匹狼のギラギラした魅力をたっぷり見せてくれた。
そして試衛館からの仲間として、「振り向けばいつもそこにいる」堺雅人の山南さんがいた。いつもそこにいるはずの山南さんがいなくなってしまってからの新選組は、本当に寂しくなった。35回以降、オープニングのクレジットに彼の名前が出てこないのを見るのは本当に寂しかった。
45話「源さん、死す」の回で、局長襲撃へのリベンジを図ろうとする土方たちを「今はその時ではない!」と源さんが諫めた。これは以前なら確実に山南さんの役割だったのだ。
山南さんの死後に「寺田屋大騒動」の回が挟まれたことで、彼の遺志が仲間に影響を与えつつ新選組が次の段階に進んでいく様子が上手く描かれていたので、山南さんの死をそれほど後まで引きずることはなかったけれど。
芹沢鴨や山南さんを失い、後半に入ると俄然、沖田に目が奪われる。
池田屋で吐血してからの沖田には以前のような天真爛漫さは見られなくなっていく。
「限られた命をいかに生かすか」――沖田はそのことに腐心する。それまで以上に剣に打ち込み、激しく仕事もこなす。自分の存在意義は何なのか、それを必死で見つけようとする。37回以降からの沖田は明らかに以前と顔つきが違う。厳しく、そしてストイックに。
三谷さんは沖田のセリフを書くのが一番難しかったという。いつも藤原くんが三谷さんの期待するものを軽く上回る芝居をしてしまうからだそうだ。
「新選組!」に出る前からもちろん藤原竜也のことは知っていたし、彼が舞台で活躍していることも知っていたから特別驚くべきことではないのだけれど、彼の沖田(特に後半)を見れば見るほど、彼の天才的な巧さに見入ってしまった。
沖田の縁側から遠くの空や桜を見上げる目を見る時、彼の人間的な成長と、そしてそれが長くは続かないことが察せられて哀しかった。そういうセリフのない芝居も抜群に上手い。
後半で最も好きな場面の一つに、姉のみつが総司を見舞いに来るところがある。「再会」の回だ。
死を予感する総司が、京での経験から人間的に成長し、これからようやく近藤たちのために働けるという時に役に立てないことの無念さをみつに告げる。
「あなたは悪いけどまだまだ死にません!シワシワになってみんなにクソジジイって言われるまで生き続けるの!沖田さんとこの総司さんは若い頃はいい男だったのにねって、あの時死んでればねって、そう言われるまで生き続けるの!」
総司の限られた未来を知っていても、それを受け容れたくないみつの姿が痛々しく、この場面を見るたびに涙してしまう。このシーンの藤原君と沢口靖子が本当にいい。
見舞客と縁側で話をする沖田の場面はどれもしんみりと、そして胸を打つ。近藤、土方、斉藤、みつ、お孝、どの場面も沖田のはかなさが際立って切なかった。沖田が土方に「稽古つけてあげましょうか」と言って庭で手合わせする場面も、試衛館時代を思わせながらも彼らがもう昔と同じところにいないことを感じさせた。
後半の要は圧倒的に藤原竜也だった。
薩長の影響力が強まってからの新選組は次第に輝きを失っていく。鳥羽伏見の戦の描写も(思いの外)ショボくて(池田屋のセットで予算を使い果たしたのか?!)、余計に侘びしい感が募る。彼らにもう明るい未来がないことがありありだった。
彼らの終焉を見るのが次第に辛くなってくる中で、俄然輝きを放ったのは「流山」。この回は圧倒的に香取慎吾が素晴らしい!
贔屓目もあるし、大河の主役として求められるスタンダードが高いこともわかっているけれど、それでも「主役がダメだ」という批判には全く同意できない。
彼の嘘のつけない真っ直ぐな性格を物語るエピソードの数々は、この「流山」の最後の場面のための長い長い伏線だったと思わせるほど。
真っ白な着物をまとった近藤のあの微笑みは、穏やかな安堵と覚悟の笑みで美しかった。
最終回の1回前の、しかも最後の最後でこう来たか!
えぇ、三谷さんの術中にはまってもう、大泣きですわ!ほんとに憎らしいほどツボを押してくるなぁ、三谷さん!
事実上の最終回の山場は(1回前とはいえ)完全に「流山」だった。
49話の「愛しき友よ」は最後の仕上げの回だ。 "ウタノマエ" もシリーズ最短ではないかと思われる1分36秒でOPタイトルが始まる早さ!
出演者の数も少ないから、わずかワンシーンしか登場しないはしのえみすらもピンでのクレジット。
そしてやはり近藤の最後のシーン。
その清らかさに安らぎすら覚える。ヘッドフォンをつけて見てると、虫の鳴き声や鳥のさえずりや川のせせらぎの音など、最期を迎える近藤の耳に"自然の声" が届くようにずっと流れている。
一匹の蛙がスーッと泳いで岩に辿り着くのを見ると、「ヒュースケン、逃げろ」の回でヒュースケンが日本を喩えて「井の中の蛙、大海を知らず」と評したことに、近藤が「でも知っていますか?それには"井の中の蛙、大海を知らず、されど空の高さを知る"と言う続きがあるのです」と教える場面が蘇る。
そうして、暗転後のカーテンコール!テーマ曲が流れ始める時の、自信に満ちたいい顔で行進する新選組の隊士たちの姿に大泣き。
回想シーンは挿入しないという三谷さんの掟を最後の最後まで取っておいて、ここで使うか!!
そしてトドメの一発、京に上る前の、希望に満ちあふれた試衛館の8人。(号泣)
*(追記)オンエア分の総集編でこの後、近藤がかざした刀を振り下ろすシーンがあったことを知りました。確か本放送ではこのシーンはなかったですよね。*これは「ディア・ハンター」でやられてしまったパターンと同じではないか! あぁ、またもややられてしまった!
あんなにもあんなにも哀しいクリストファー・ウォーケンの最期の後に、美しいテーマ曲「カヴァティーナ」の調べにのせて、一番幸せだった時のみんなの満面の笑顔の映像がクレジットと共に流れる。(もちろん号泣です)
素晴らしいラストシーンだったけれど、個人的な意見を許してもらえれば、暗転後の「完」のテロップは必要なかったんじゃないかと思う。
太陽にきらめく刀が振り下ろされ、暗転してから「完」の文字が出るタイミングがとても早い。
最後に近藤はたった一言、つぶやくセリフしか言わない、その余韻を壊さないためにも、ちょっと長めの暗転で、そのままテーマ曲に流れ込む方がよかったんじゃないかな。最後の最後の試衛館の面々が並ぶシーンの後に、「完」、でもよかったんじゃないかと今でも思う。
きっといろいろと議論はあったんじゃないかとは思うけれど。
それにしても、三谷さん、ほんとに全精力注ぎましたね。
この構成と演出に、三谷さんとスタッフが「新選組!」にどのぐらい愛情を注いでいたかを見た思いです。
やっぱり「新選組!」はわたしにとって近年稀に見る傑作なのであります。
単純に「いいドラマだった」で片づけられない〔何か〕にあふれた名作だったのです。友人には「どこまで熱くなるんや!」と笑われたけれど、そのぐらい揺さぶられたのでした。
ほんと、すごいドラマでした。(毎回そう言ってるな)
【追記】あちこちでニュースが流れておりましたが、三谷さんの朝日のコラム「ありふれた生活」で、続編についての記述があったそうですね。続編は90分で、土方の最後の1日を描くことになるそうで。「新選組!」を応援してくれた視聴者と、山本耕史くんへのささやかな御礼なのだとか。…あぁ、そのコラムが読みたい!