うわー、ムカッパラ立つ〜。
ものすごく一生懸命書いたエントリを投稿しようとしたら「サーバーにつながりません」って出て、アッと言う間に消えてしまったー!
ムカーッ!うーん、もう寝ようと思っていたのに、あまりにもストレスフルなので、もう一度書いてやる〜!(同じものは書けませんが)
というわけで、ここからは録画をお願いしていたWOWOWの「蜷川幸雄2005〜疾走する70歳〜」が届いたので、その番組の感想です。
この番組は蜷川幸雄の2005年の仕事を振り返るドキュメント。
年末、今年蜷川さんが手がけたコクーンの舞台全作品をWOWOWで放映するから、その前宣伝も兼ねているのですね。
それにしても今年も相変わらずものすごい仕事量。
2月の「 幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」に始まって、「KITCHEN」「メディア」、そしてNY公演もあった「近代能楽集」、歌舞伎の「NINAGAWA 十二夜」、そしてこの秋の公演「天保十二年のシェークスピア」まで。本当に休む間もなし。
面白かったのは、彼が「今年を振り返って」という質問に対して、「自分のことがよく分かりました。屈辱的な怒りの持続力っていうことだけはあるんだなぁと、僕を突き動かしてるのは幸せな感じと言うよりは孤立感だなぁ、と。なんかいつまでも、怒れる若者じゃないんですけど”怒れるジジイ”という人間なんだってのが実に良く分かりました。」と言っていたこと。
彼が若き日を過ごした60〜70年代は「反体制」の時代だったから、
やはり「怒れる若者」のエネルギーというのは彼の中に今も静かに流れているんだなぁ。
蜷川幸雄というと誰しも「灰皿を投げて怒る」というイメージがあるけれど、彼の舞台で仕事をした役者は口を揃えて「それはイメージの一人歩きだ」と言う。
演出助手の人が「蜷川さんは皆に求めることも厳しいけれど、自分にも人一倍厳しい」と語っていた。自分の理想とする芸術に到達するための妥協を許さない人なのだろうな。その分、家族との時間を犠牲にしてしまったことを反省していたけれど。
だから皆、蜷川幸雄が目指す場所へ彼と共について行きたい、と思うんだろうな。役者もスタッフも、誰もが「蜷川さんの言うことに『それはできない』と言いたくない」と言う。皆、蜷川さんに認めてもらいたい、蜷川さんの期待に応えたい、そう思っている。そう思われる蜷川幸雄という人はやっぱり大きな存在なんだなぁ。
インタビューを受けた一人、毬谷友子のコメントが印象的だった。
1つの舞台を完成させるということだけでなく、蜷川さんは役者の人生までも引き受けるということをしてくれる演出家だと。
蜷川幸雄の秘蔵っ子と言われて、蜷川から特別目をかけてもらっているように思われがちな藤原竜也ですら、「今出演している舞台がダメだったら(蜷川幸雄の期待に応えられなかったら)、蜷川さんとの次の仕事はないと毎回思っている」と、常に自分の持てる全精力を注がないと蜷川さんの目指すところには行けないプレッシャーを語っている。
蜷川さんがインタビューに答えて印象的だったことが2つある。
一つは「『知らない』『わからない』ということは恥だと思わなければダメだ」ということ。そして二つ目は「果物は青さが残っている方が好き」という発言。
わたしが最近ずっと感じていたこと、「『知らない』というのは恥ずかしいことなのだ」というのを、蜷川さんはハッキリ言葉にしていた。溜飲が下がりました。
「知らない」ということは、ある時には強い味方になることもあるけれども、知っていなければいけないことを知らないのは恥ずかしいことなのだ、と世間で言いづらくなってしまったのは何故だろう。わたし自身、口やかましい大人にはなりたくないと思っているが、容認することは真の優しさではないことを、もっと自覚しないといけない。
人との出会いというのは縁に導かれることが多いが、この間見た「英語でしゃべらナイト」で坂本龍一が、「英語で"Right Place,Right Time"という言い方をするけれど、その場にその時にいてその人と出会う、というのも(人と出会う)才能なのだ」と語っていた。
インタビューを受けた俳優やスタッフは皆蜷川さんと仕事が出来ることを光栄に思い、彼に認められたいと思い、彼の期待に応えたいと努力している。
蜷川さんは情熱あふれる優れた演出家であると同時に、彼らの成長を見守る師でもある。
どのぐらいの人が他者の人生の中で「この人に認めてもらいたい、この人と出会えてよかった」と思ってもらえる存在になり得るのだろう。
そう考える時、やはり蜷川幸雄という人はそう思わせるカリスマと、才能と、努力を備えた人なのだな、というのが印象に残った。
来年から彩の国さいたま芸術劇場の芸術監督にも就任すると発表があった。
蜷川さんはまだまだ疾走を続ける70歳だ。