ADMIN TITLE LIST
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。




今日の午後、大野くんから【迷惑メール】。

『FREESTYLE』の発売に寄せてその喜びの言葉が。
ほんとに嬉しそうな大野くん。読んでいてこちらまで嬉しくなる気持ち。



『FREESTYLE』を予約をしていた書店に引き取りに行って来ました。
お金を払う前にちょっと店内を巡回してみたけれど店頭に置かれている気配なし。
予約伝票を渡して本を受け取る時に店員さんが

「これ、予約すごい数だったんですよ。なんか増刷決まったみたいですね?」

とポツリ。

あちこちのブログを見ても以前の混乱がウソみたいに皆さん割とスムーズに購入できている様子だし、きっと問い合わせや追加注文が凄かったんだろうな。
わたしが予約した書店の系列の別店舗では店頭売りもしたそうだけれど、それもアッという間に売り切れたのだとか。

持ち帰ってワクワクしながら作品集を出して見る。
キレイに見よう、汚さないように読もう、と(誰に気を遣ってんのかわかりませんが)ちょっと緊張しながら本を開きました。
これは大野くんの作品を見て楽しみ、そして作品を制作している大野くんの姿をまた楽しむ、二重に楽しい作品集。

嵐のメンバー達からのメッセージはどれも大野くんの作品が世に出ることを自分のことのように喜んでいる愛情溢れる言葉が並んでいます。やっぱり大野くん、愛されてるなぁ…!
二宮画伯に至っては直接的な愛のメッセージも書き込んでますからね。(笑)

「絵は苦手」といいつつ、すごく特徴をよく捉えていて上手いのが相葉ちゃんの絵だったりする。
櫻井画伯の健在ぶりが非常に嬉しいところですが、実は散々っぱら画伯の絵を番組でアレコレと指摘していた松本さんもなかなか負けていない気が。(笑)


以前大野くんが「はなまる」に出た時だったか、リアルなサルが宇宙飛行士の格好をしている絵を製作中ということで写真で紹介したと思うのだけれど、あれはまだ完成してないのかなぁ…作品集には載ってなかったなぁ。

作品の製作工程を見せてくれる部分は写真集的ではあるけれど、どのページをめくっても楽しそうな大野くんの顔しか見えません。
真剣な顔でファインダーを覗いている時も、ちょっとくつろいでいる表情も、好きなことを追求している幸せそうな顔つきなのがいいですね。


翔くんは「ずっと笑ってた」と言っていたけど、巻末の4Pは3104ファン悩殺ショットです。
すごくいい顔。(必殺の前髪!!)


それにしても、大野くんの腕と手は本当に美しいんだな。


スポンサーサイト

テーマ:大野智 - ジャンル:アイドル・芸能





村上春樹の新刊 『走ることについて語るときに僕の語ること』を購入。
(ヨーヘイくん、きっと好きだと思うよ。)

村上春樹にとっての「走ること」という行為を軸にした一種の「メモワール」という位置づけの本で、ふだん創作小説をほとんど読まないわたしは著者の心理が記されたこういう著作の方が読書欲を駆り立てられるのです。

村上さんは二度、ボストンで長期滞在をしていた時期があり、そのうちの一度(2005年)は同時期にわたしもボストンで生活していたので、ハーバード大のお向かいにあるお店の前で彼を偶然お見かけしたことがあります。

このランデブーの数日後に開催される予定だったハーバード大主催の村上氏の講演会に参加できるチケットを運良く入手することができたので、奇しくもそれを引き取りにランデブー場所のすぐ先にある「ハーバード・ブックストア」に出向いている途上の出来事でした。
よっぽど「今から村上さんの講演会のチケットを取りに行くところなんです」って声をかけてみようかとも思ったのですが、そんな気安く声をかけられるような雰囲気ではなく、もっと言えば「僕のことは見えなかったことにしてもらえないか」ぐらいの伏せ目勝ちモードだったので、そのまま通り過ぎてしまいました。(笑)

『走ることについて…』の中で2005年の10月に行われたMITでの彼の自作朗読会の様子が登場しますが(P137~)、わたしはこの朗読会には参加できなかったけれどその時の様子をブログにアップされている方があって、それを友人に教えてもらったので旧ブログ「Journals」のエントリ「今日のIn&Out」として紹介したことがありました。
著作権の関係でこの時紹介している映像のリンクはもう削除されていますが写真はまだ残してあるようです。こんな感じだったみたいですよ。

この本の中に村上氏がランニングした場所の風景写真がいろいろと掲載されているのですが、タフツ大やチャールズリバー河岸の景色(ボストンマラソンの様子も)が登場し、ちょっと懐かしくなりました。初夏・初秋の頃のチャールズリバーの景色はとても美しいのです。
村上さんはボストンに滞在中はよくチャールズリバーの河岸をランニングされていて、Boston University (チャールズ河をはさんでハーバードのお向かいにあります)に通っていた友人が「時々見かけるよ」と言っていました。

まだ読み始めなんですけど、ちょっとボストンを懐かしみつつゆっくり読みたい本です。

テーマ:この本買いました - ジャンル:本・雑誌





NHKが世界最大の自転車レース「ツール・ド・フランス」を放送していたのはいつだったろう。
たぶん'80年代のことだ。

わたしが最初に「ツール・ド・フランス」のことを知ったのはダイアン・レインのデビュー映画「リトル・ロマンス」で、主人公の少年少女たちのいた街がツール・ド・フランスの通過ルートに入っていたため街中がお祭り騒ぎみたいにないる場面だった。

とにかくかなり昔のことなんだけれど、まだ自転車レース自体が日本にあまり馴染みがなく、ヨーロッパではポピュラーだった自転車レース、とりわけ「ツール・ド・フランス」のレース展開から専門用語まで、NHKの番組はCG映像の図解説明も加えて”イロハのイ”から説明してくれていた。
集団で走る時のフォーメーションから、山岳地帯での走り方、各ステージの勝者だけが着ることを許される色別ジャージ(黄色のジャージが最も有名な個人総合での勝利者が着る事のできる「マイヨ・ジョーヌ」)の意味や各コースの特徴まで。

ツール・ド・フランスは自転車のチーム対抗戦でいくつものステージに分かれ、エースを含むチームメイトはそれぞれの得意分野(スプリントや山岳エキスパート等)を持っており、最終的にはエースを勝たせるために残りのチームメンバーはアシストとして補助の役目に徹する。
とにかく勝つための徹底した戦略(心理戦から技術的な走りの組み立てまで)と駆け引きが面白く、ただ自転車を漕いで速い者が勝つ、という単純なスポーツでありながら、その背景にある知的攻防戦は子供であってもそのレースの奥深さを感じることができてとても面白かった。

今朝、「王様のブランチ」を見ていたら”松田チョイス”のコーナーで近藤史恵の新著『サクリファイス』を取り上げていた。
自転車ロードレース(ツール・ド・フランス)を舞台に、競技中に起きた悲劇が事故であったのかそうでなかったのか…スポーツドラマでもあり青春ミステリでもあるという。
すごく面白そうだった。

持ち歩くのが重たい、という理由だけで文庫本化されるのを待っているわたしなので『サクリファイス』が読めるのはまだまだ先かも知れないなぁ。
松井今朝子の『吉原手引草』も同じ理由で興味を持ちつつ、読んでいない。ドナルド・キーンの『明治天皇』も第1巻を読み終わってからその先が…。嗚呼。

残暑厳しいとはいえ、秋の気配。
レイ・ハラカミをBGMにしつつ、もうちょっと本を読まないとなぁ…と思っているんだけど…。 (…けど、なんだ?)





この間、デヘヘさんのブログで触れられていた集英社文庫の「ナツイチ」キャンペーン。

蒼井優ちゃんが2007年のイメージキャラクターで、漱石の『こころ』、武者小路実篤の『友情 初恋』、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の3冊の限定カバーは彼女の写真が表紙に。

やっぱりフラフラと惹かれて既に持っているのに買ってしまいました――『こころ』と『銀河鉄道の夜』。

実は一番涼しげで可愛かったカバーは『友情 初恋』だったのだけれど、武者小路実篤は…好きではない…。

絶対、これ、売り上げが伸びたと思います。
思いっきり集英社の術中にはまっているわたしです。

そしてその場でもらえる「ナツイチ」のオリジナルキャラクターであるミツバチくんのストラップ
ストラップが入っている袋がクジになっていて1冊につき1個もらえるはずなのだけれど、レジのお兄さんは「3つぐらい取っていいですよ、コレ、かなり余ってるんで」と言って3つ
引かせてくれた。

わたしが欲しかった本を読んで泣いてるミツバチくんは…当たらなかった…。
こんなとこでも地味にクジ運の悪さを発揮してしまいました。
いいんだもん、浮き輪してるミツバチくんストラップは当たってたから!!

こころ

銀河鉄道の夜

友情 初恋






昨日のアジアカップは惜しかった。
なんだかハラハラして見ていられなかったな(見たけど)。
遠くから父親の叫び声が漏れ聞こえてきて切なかったです…。


学生時代はよくマンガを読んでいたのだけれど、さすがに卒業してからはパッタリと読まなくなった。なぜだか不思議なのだけれど、正確に言うとマンガ自体が読めなくなった。集中力が落ちてしまったのかな。

今でも好きな作家の最新刊が出ているのに気がつけば思い出したように買ったりすることはあるけれど、それも1年に1回あるかないか。いろんな意味で活字離れ(活字?!)してしまったわたし…。
ボストンに送ってもらってまで読んだ『天然コケッコー』の最終巻と、『スラムダンク』&『ピンポン』の全巻がたぶん最も最近に読んだ読んだ(!)マンガです。
どんだけ遅れとるんか、と。

しかし、超久しぶりに漫画雑誌というものを買ってしまった。
「天然コケッコー」の映画化に合わせて『コーラス』の8月号~11月号に、くらもちふさこが『天然コケッコー』の特別編の書き下ろし連載を始めたのです!
これは読んでみたい。
わたしには「天然コケッコー」だけは外せないのです。

立ち読みで済ませようかと思ったけれど、実はそれは『Myojo』や『ポポロ』や『Duet』を書店で立ち読みするぐらい勇気の要ることだったのでお買いあげすることにしてしまった。

おー、久しぶりの大沢くんとそよちゃんです。
あさっての28日に新しい号が出るのでまた買ってしまうなぁ。
それにしても同誌に掲載されている『コケッコー』以外のマンガが全然読めない。昔は何でも読めたんだけどなぁ。不思議だ。

今書店に並んでいる『FRaU』にくらもちふさこと谷原章介の対談が載っていた。谷原章介が熱烈なくらもちファンとは知らなかった。「もしくらもち先生のマンガが映像化されるなら、どんな端役でもいいから出演したい」と言っててほんとにファンなんだなぁ、と感心。

ちなみに同じ号の『FRaU』に蜷川さんの記事も乗っていて、蜷川さんがいかに魅力的な若い男優を見つける才能に長けているか、という例としてニノの話があった。

当時まだ演技者としての才能が未知数だった二宮くん(と書いてあった…当時既に演技には定評があったと思うけれど)を「青の炎」の主役に抜擢した先見の明について書かれていたんだけれど、『硫黄島』でも『鉄コン』でも、その後ニノにとってエポックメイキングになるそれらの仕事に繋がるきっかけがみんな「青の炎」であったことを考えると蜷川さんとの仕事はやはりニノにいろんな可能性をもたらしてくれたのですね。
ただその記事自体は現在上演中の「お気に召すまま」に関連していたので小栗くんと成宮くんが大きく取り上げられていたんだけど。

それにしても「Time」コン、見たい!(笑)





今日発売の『CUT』8月号(#217)は二宮くんファンは絶対「買い」です。表紙も含め、12Pのモノクログラビア+4Pのインタビュー(主に『硫黄島』とこの映画を経てからの彼自身について)計16Pの特集という豪華版です。

ちなみに巻頭に監督&脚本・岩松了、主演・オダギリジョー&麻生久美子という、どこかでお馴染みのメンバーが揃った映画『そして夏がきた(仮題)』の記事が出てました。共演は原田芳雄、大竹しのぶ、小林薫、石田えり、と恐ろしく豪華な俳優陣で今年末に完成予定なのだとか。”日本のチェーホフ”の新作は期待大みたいです。





最近なぜか深夜に兄とSkypeで話すことがある。
忙しい貴方は何をしているのか、こんな夜更けに。
近況報告から『どうでしょう』に至るまで、兄妹で夜中に話し込んでいるのはやっぱりちょっと変だな。

わたしの車の話題からカーナビの話になって、そこから道路地図の話になった。

わたしの愛車はもちろんカーナビなどという文明の利器は積んでいないので、知らない場所に行く時はロードマップが必携になるわけだけれど、長年アルプス社の『アトラス』に多大なる信頼を寄せているために他の道路地図を使ったことがない。

個人の嗜好はあるのだけれど、『アトラス』の見やすさを体験してしまうと他の地図を使おうという気持ちになれない。
車載用と自宅用にバカみたいに2冊も持っているくらいだ。

手元にある『アトラス近畿版』はもう古いから新しいものを買っておこうかと思い先日書店に出かけた時に地図のコーナーを覗いたら、1冊もなかったのだった。

1冊も?
全く?
「売り切れ」って感じでもなく、存在そのものを抹殺されたぐらい、アルプス社の名前は見つからなかった。
もしかしたら偶然この店にはなかったのかも知れない、と思って今日まで日が経った。

兄と話をしていて(彼も『アトラス』のファンである)、彼が持っているのが2003年版だから少なくとも昨年版が最新であろうということになってお互い喋りながらも手はカタカタとキーボードを弾いて検索作業に余念がなかった。

が、重大なる事実が発覚。
アルプス社は2004年に事実上倒産してYahoo!が包括支援に乗りだして、今はYahoo!の子会社になっていた。

えぇぇぇぇぇ?!
ガーン、ガーン、ガーン。

道理でどんなに検索しても名古屋版・愛知版の最新号の情報はヒットしても(アルプスの本社が名古屋)他地域の地図帳の『アトラス』情報は一向に出てこないはずなのだった。

まだそんなアナログな地図帳で調べる方法かよ、と。
カーナビソフト使えよ、と。
そういうことなのね、アルプス社?!

ちょっとこのショックは大きかった。
あぁ、人生で最も使いやすかった道路地図だったのに…。
アルプス社のHPを見るとオンラインでは2005年の関西版も注文できるようだけど、書店で取り寄せが可能なことを祈る。
というか、情報の古い地図を買ってる時点で時代に背を向けてるよなぁ…。

どなたか『アトラス』に匹敵するような、見やすく使いやすい道路地図をご存知ではありませんか?(泣)

はぁ…。
とりあえず本屋さんに聞いてみるよ…。<兄
ところで、こんな面白いサイトを教えてくれてありがとう。この管理人のゆみぞうさんの面白さはただごとではない。すごく人気あるサイトなんだね、知りませんでした。ゆみぞうさんも『どうでしょう』ファンみたいだ。

嗚呼、罪深きアルプス社…。



【本日のBGM】起きないあいつ / FAN TAN

ショックなわたしを大泉さんとシゲの甘い声で癒してもらいたい。(涙)
それにしても、なんだ?この2人の歌の上手さは。「本業は歌手ではありません」と言うにも程がある、ってぐらい上手すぎじゃないか??
石橋貴明じゃなくても確かにこんなに上手いと「ズルイよなぁ~」と思うなぁ。余技でこのレベルというのはただただ素晴らしい。多芸な人たちなのだ。





3連休はお天気が崩れると聞いていたけれど、大阪はいいお天気だったなぁ。北海道はひどいお天気だと言ってたけれども…。うちの方では午後はちょっと雨がパラついたけれど、それでも晴れてた。でも父がTVで観戦していた高校サッカーの決勝戦では国立競技場はエライ降ってたなぁ。

今日出かけついでに書店に寄って『ダヴィンチ』を買ってくる。今号は「TEAM NACS総力特集 完全保存版」。ミスターの見開き2ページの特別寄稿も。
今年で結成10周年を迎え、アニバーサリー公演と新作の舞台『HONOR』が間もなく始まるため、その宣伝活動の一環として登場。30ページ近い特集で、TEAM NACSメンバー5人全員の個別インタビュー(しかも全員の行きたい場所に行ってのインタビュー&撮影)も慣行されている豪華版。『ダヴィンチ』は相当力入れてますねぇ。ちなみに3/6発売の4月号で再度彼らの特集が組まれるという力の入れよう。

舞台、ちょっと見てみたいなぁ。
大泉さんも見てみたいけど、実は安田さんと音尾さんのお芝居を生で見てみたかったりする。


【本日のBGM】水のない水槽/山崎まさよし

その昔、大阪のFM802というFM局で「Music Gumbo」という2時間の人気番組がありまして、日替わりDJをミスチルの桜井くんやウルフルズのトータス松本、スピッツの草野くんたちが勤めるという豪華なプログラムでありました。まさやんは確か月曜を担当していて、ギター1本でスタジオライブをやり、彼自身が影響を受けたアルバムからの選曲を流したり、という内容で、彼の気さくな人柄もあって非常に人気がありました。
スタジオ生演奏では自作曲や彼が好きな曲を演奏していたのですが、盟友スガシカオの「黄金の月」を歌った回をすごくよく覚えてるなぁ。「水のない水槽」も演ってくれたけれど、わたしはストリングスアレンジのCDバージョンの方が好きかな。ダークサイドの山崎まさよし、という感じのあのアレンジは秀逸です。

テーマ:雑誌 - ジャンル:本・雑誌





友人のエリちゃんがマンガを貸してくれた。
エリちゃんは映画好きで、小説好きで、マンガ好きで、岩井俊二が好きで、前に『リリィ・シュシュのすべて』のDVDと蒼井優ちゃんの写真集も貸してくれた。

映画の『青い春』の話になって「原作は読んでない」って言ったら松本大洋の『青い春』と『花男』を持ってきてくれた。(ちなみに『花男』はエレカシの「花男」に由来してます)

――なんでそんなのアメリカで持ってんの?(笑)



何冊かの松本大洋の本と一緒に「”エリコ・セレクト”を混ぜたよ」と言って袋を置いてった。

絶対安全剃刀開けてみたら高野文子が2冊入ってた。
なーんで高野文子をアメリカで持ってるかなぁ??(笑)
NYに行った時に松本大洋と共に古本屋で買ってきたのだそうだ。
ちなみにエリちゃんはまだ21歳だ。
渋い趣味だ。


エリちゃんが袋に入れていたのは高野文子・衝撃のデビュー作の『絶対安全剃刀』と『黄色い本』だった。

高野文子のマンガはマンガであってマンガではない。
もう純文学の域に到達してる。
あんなに内省的で詩的なマンガを描く人を他に知らない。

あ、冬野さほが高野文子に近いかな――と思ったら、彼女は松本大洋の奥さんだった。エリちゃん、知ってた?リンクしてるねぇ。

『絶対安全剃刀』に収録されてる「田辺のつる」を最初に読んだ時の衝撃はすごかった。高校生ぐらいだったかなぁ。
うちの兄が『絶対安全剃刀』と『おともだち』を買ってきたのだった。
ちょうど同時期に大友克洋の『童夢』も出版されて、それも兄が買ってきた。
これの衝撃もものすごかったんだけど。

この2作が衝撃だったのは、主人公は老人で、そしてどちらも子供に返る話なのだ。テーマの描き方は全く違うし、絵柄だって全然違う。
でもこのテーマはどちらの場合も計り知れないインパクトをもたらした。

たとえば、『田辺のつる』でお婆ちゃん(田辺つる・82歳)が押し入れの中に入って独り言を言うシーン。

たとえば、『童夢』でチョウさんがエッちゃんの能力を知って公園のベンチで脂汗を流す、ぶち抜き2ページの迫力のシーン。

こんなのはそれまでにマンガの文法にはなかった。
本当にものすごく新しかった。

松本大洋と高野文子をアメリカで読むことになるとは思わなかった。
エリちゃん、味わって読ませていただきます。


【本日のBGM】  夏なんです /  はっぴいえんど

*高野文子の『おともだち』の「日本のおともだち」のエピソードの中で、真夏に主人公のお母さんが着物を着て日傘を差して出かける場面がある。
こういう郷愁漂う風景を思い描く時、「夏なんです」のアコギのアルペジオが自然に頭の中に流れ始める。 

名曲なんです。


   日傘グルグル 僕はたいくつ
   日傘グルグル 僕はたいくつ





『新選組三部作』もついに3作目の『新選組物語』に突入してしまった。

3作には重複して登場するエピソードがいくつもあるので、「あぁ、この話は前にも出て来たな」なんて思いつつ読むのだけれど、永倉新八翁、八木為三郎翁、近藤勇五郎翁、篠原泰之進翁らの談話が効果的に挿入され、彼らが残した出来事がいかに「事実は小説より奇なり」であったかを物語っている。

子母澤寛の新選組のエピソードを全くの事実と受け止めるにはいささか疑わしい点もあるようだけれど、それでも新選組を「実体験」した人たちの話というのはわたしにはものすごく興味深い。遠い遠い「歴史」の彼方にあったものが、すぐ目の前に登場したような気持ちだ。
実際、遠い歴史と言ったって、新選組が活躍した時代からはまだ150年も経っていないのだ。そんなに遠い過去でもない。
60数年前にはまだヒットラーだって生きていたのだもの。

ところで、ここからはあまり気持ちのよいお話ではないので、お食事中の方、興味のない方は読み進めないことをお薦めいたします。


それにしても、『燃えよ剣』以来、あまりに続けて新選組物を読み続けているせいか、何だか感覚が麻痺してきた。
何の感覚が?というと、「人の首を斬る」という感覚です。

あまりに頻繁に「斬首」「落首」「首を落とし」「見事に首をはね」「斬った首を腰にぶらさげ」「首が胴から完全に離れ」「首の皮一枚でつながり」等々の文章が登場し、《肉体の一部を欠損する》という状態が最も恐ろしいわたしにとっては気の遠くなるような表現がてんこ盛りなわけです。

現在のわたしたちには「首が胴体と離れる」という事象はあまりに非日常的であり、ショッキングであり、そして残酷な出来事だけれど、150年前の日本ではそれはさして驚くべき事でもないような、日常茶飯の出来事だったのだというのを強く感じた次第。

こういった血なまぐさい事件も、人が予期せずに死ぬということも、本当に身近な生活の一部として存在していた――そう思うとわずか150年であっても時代の隔たりを感じずにはいられない。
もちろんこれは日本だけの話ではなくて、西洋の歴史であっても首を刎ねるという行為はとりわけ珍しいことではないので、結局のところ人間の行為というのは根底は皆同じなのだと思うのだけれど。

以前、チェコ出身で弁護士だったクラスメートが「ロースクールの授業で習った」と前置きして「西洋の拷問の歴史」というプレゼンをしたことがあった。
ものすごいテーマに一同「おぉっ!」とざわめいたけれど、プレゼンを聞き進めるとこれが人間の心理を深く突いたもので、いかに効率よく、いかに残酷に人を苦しめる方法を人間は考えつくものかという、人間の本質を見たり、というような内容だった。ナチスのアウシュビッツを例に挙げるまでもないのだけれど。

そして面白いことに、全く西洋諸国との交渉もなく、全く文化も違う東洋の島国・日本においても、当時、西洋で発達した拷問方法や道具とほとんど同じようなものが独自で開発されていたという事実。つまりは行き着くところ、人間は皆同じだということだ。

『新選組遺聞』にも『新選組物語』にも、近藤勇の処刑後に遺族が勇の首のない胴体を故郷の多摩に葬るために、夜中に板橋刑場へ奪還しにいく話が登場する。
勇の長兄・音五郎が勇の屍を掘り返す時に、「ここ(板橋の刑場)にある死骸はみんな首がないのだから、他人の死骸と間違わないように」と同行した者たちに言って、提灯明かりで勇の遺体を確認したという。
確かにそうだ、首がないのだから誰が誰だかわかんないよなぁ。

彼らは左肩に一銭銅貨ほどの大きな窪み(親指がすっぽり入るぐらい深い傷だった)を発見し、これが墨染で勇が狙撃された時の傷だと確認できたので、その遺体を棺箱(桶にあらず)に入れて駕籠で担いで多摩に運んだという。
音五郎は首のない勇の遺体を抱いて「残念だったろう、残念だったろう」と泣き、周囲の者たちも同じように泣いた、と勇の娘婿・勇五郎翁が語り残している。

NHKの「その時歴史が動いた」は、ノンフィクション好きのわたしには楽しみな番組だったけれど、新選組は番組の歴史の中でも最も頻繁に取り上げられたテーマの1つだろうと思う。
もちろん、大河ドラマが放送された影響もあるだろうが、やはり日本人は「敗者」に対して情を深くする文化を持ち、そして何かに対して一途であろうとする者を美しいと感じる文化なのだと改めて思う。

「その時歴史が動いた」の新選組SPの回の解説に、

----------------------------------------------------------------------------------------

幕末から明治にかけて、最後まで反幕府勢力と死闘を繰り広げた新選組。そこに集ったのは、局長・近藤勇以下、農民や浪人など社会の底辺に生きる若者たちだった。国の行く末を憂えた彼らが政治に参加する唯一の道。それは、剣の腕前を上げることしかなかった。幕府が初めて公募した将軍の護衛役に近藤たちは勇んで志願し、遂に念願を果たす。しかし、幕府によって抵抗勢力との戦いの矢面に立たされた彼らは、何のために戦うかというビジョンを持てぬまま、悲劇の結末へと巻き込まれていく。
 番組では、近藤が胸中を綴った書簡や隊士の記録などをもとに、幕閣が官僚化し、武士道が失われていた幕末に、一生懸命に志を掲げ、国に尽くそうとした近藤たちの「けなげさ」と、その純粋な思いがやがて幕府中枢に利用され、理念を持てぬまま、最後のサムライとして死に追い込まれていく「哀しさ」を二部構成で描く。

----------------------------------------------------------------------------------------

とあって、そう、彼らのその「哀しさ」が、わたしたちの中に流れる「日本人気質」を刺激するのだなぁ、としみじみ思ったりする。
彼らは赤穂浪士ほど「悲劇のヒーロー」ではないのだけれど、そして時代を変えようと闘った人物たちからすれば、全く無益な殺人者でしかなかったろうけれど、それでも自分たちの信じるものに殉じて忠義を尽くそうとする姿に、わたしたちの心は動かされる。

三部作も3つ目まで読み進めると、さすがにもう首を斬る話を読んでも動揺が少なくなってきた。
「近藤の首が三条河原に晒される」という表現すらも、ただの言葉上のものではなく、イメージすらリアルに湧いてくる。そしてもうそれは恐くもなくなってきた。もうずいぶん武士の世界にも慣れてきたのかしら、と思ったけれど、油小路の事件の逸話で、あの激闘の翌日に近所の人々が現場を歩くと

「たくさんの指がバラバラと地面に落ちていた」

と語っていて、また《肉体一部欠損恐怖症》のわたしはその表現にクラクラしたのだった。
やはりわたしはあの時代に生まれなくてよかった、としみじみ感謝するばかりです。





travel sand友人からの又貸しで蒼井優ちゃんの写真集『トラベル・サンド』がやってきた。

まず表紙のカプチーノを赤いストローで飲んでる彼女の表情が、もうね、何とも言えずいいのです。右頬にえくぼですよ。
そしてこの写真集のサイズがいいです。ほぼ正方形のようなA4の変形で、手頃な大きさ。ありきたりの”写真集だぞ!”と主張しない、控えめな大きさとビニールのカバーがまたいい。
ここには10代最後の素顔の蒼井優がいて、ほんとにお化粧をしていない「すっぴん」の彼女の姿が写し込まれている。

確か彼女は「三井リハウスガール」だったと思うのだけど、彼女は決して美少女タイプではない。いや、もちろん可愛いのですよ。可愛いのだけれど、どちらかといえば目はちょっと離れがちで切れ長タイプだし、鼻だってちょっとお団子っぽくもある。それでもやっぱり彼女の顔や表情に惹かれるのは、とても日本的な顔立ちだからじゃないだろうか。彼女のきれいな卵形の、少しデコチンで柔らかい曲線をもった輪郭は、とてもソフトなイメージをわたしに与えるのだ。それは美少女というよりは綿菓子にも似た甘さと可愛らしさを含んでいる。


彼女のそういう「静」な感じ、包容力を感じさせる柔らかさが、メディアに登場する彼女と同世代の女の子たちと彼女が決定的に違っている点なのかも知れない。
ピュア、素直さ、すれていない、透明感、ふわふわ―蒼井優を形容するのに思い浮かんだ言葉たち。

そしてわたしはコレに非常に弱いのだけれど、彼女の「姿の美しさ」。
これはもう先天的なものだから、どんなに努力しようとも手に入れることはできない。だから立ち姿の美しい人には文句なく憧れてしまう。
蒼井優もその一人。
やはり2歳からバレエをやってきているだけあってフォルムとして美しい。蒼井優は立ち姿、全身での姿を見たいと思う俳優の1人だ。決して背丈の高い人ではないと思うんだけれど、手足の長さ、身長とのバランス、そういうフォルムの美しさで惹きつけることのできる人でもある。
わたしの場合、長澤まさみやオダギリジョーだってそうだ。
背が高くて細身の人はそのフォルムの美しさが強調されやすいけれど、だからといって速水もこみちや松下奈緒にはそういう美しさは感じない。やっぱり何かが違うんだな、きっと。

それからもう1つ。センター分け・ワンレングスのロングヘア。
これが似合う人というのは必ず人を惹きつけると思いませんか。
口数が多くなく、雰囲気があって、”女性”と”少女”の境界線が曖昧で(またそこが魅力なんだけど)、そしてこの普遍的な髪型ゆえに、流行に左右されない美しさが刻まれているような。
たとえば南沙織とか。たとえば原田美枝子とか。あと誰だ、観月ありさとか。
彼女たちの長い黒髪は、もうトレードマークのようになっていて、どんなにその後髪型を変えてもこのイメージは離れない。これも蒼井優ちゃんの大きな魅力の1つだろうと思う。誰もショートカットの彼女を見たいとは思わないだろうし、切って欲しくないとすら思う。でも正直なところ、髪の毛をアップにしている時の優ちゃんが一番可愛いと思っているんだけど。

この写真集を買っている人は実は女性がとても多いんじゃないかな。
もちろん彼女に男性ファンが多いのはわかっているけれど、彼女の可愛さを堪能しているのは実は女性ではないのかな。
蒼井優の持つ愛らしさは、そういう性別を超えて人を惹きつけるところにあるのかも知れない。

個人的には『リリィ・シュシュのすべて』の伊藤歩より、『花とアリス』の鈴木杏ちゃんより、わたしには蒼井優ちゃんの方がずっとずっと強い印象を残したのだ。とりわけ『花とアリス』の彼女の踊る姿を見て、彼女に惹かれない人がいるんだろうか、と思ったりするぐらいだ。あくまでも個人的な感想だけれど。絶対絶対、岩井俊二はクラクラしたはずだ!

最後に、彼女は被写体としてとてもフォトジェニックな人だと思うけれど、それだけではないところがまたすごい。
わたしは彼女のお芝居もとても好きだ。技術的なことではなくて、観ている人を惹きつけることのできる人という意味で。可愛さや姿形の美しさではなく、彼女の個性がわたしたちに訴えかけてくるものを持っている。
でもそれが何であるかをうまく説明できない、残念ながら。

やはり彼女は掴みきれない魅力をもった人なのだ。
そうして彼女が登場すると磁石で引きつけられるように、彼女に釘付けにされてしまうのだ。そういう人はいそうでなかなかいない。

無防備にスムージーをすすっている彼女は、やっぱり愛らしい。
ロッキン・オン社、Good Job。





便覧実はわたしは中学の時などに国語の副教材として使われる『国語便覧』が大好きなのです。
…変わってますか?

子供の頃から国語と美術の教科書が大好きで、まだ授業でやりもしないずっと先の作品を教科書をもらったその日から読み始めたり、美術の教科書に載っている名画の数々を飽きもせずに何度も見返すのが大好きでした。後に日本や海外の美術館で実際にそれらの名画に触れるチャンスが訪れ、初めて見る絵であっても「あ、これはボナール」「あ、これはきっとルオーだ」なんて思いながら見て歩くのはやはり楽しい。

そんな、ある種教科書オタク(?)なわたくしが活用していたのが『国語便覧』。国文学や日本の伝統・風俗・文化について図解入りで詳しく紹介してくれる上に、文語&口語文法の手引きや正式な手紙の書き方まで解説してくれる、ハンディで頼もしい1冊なのです。

今わたしの手元にある(ボストンまで持ってきた!)『新詳説 国語便覧(東京書籍)』には、全国の文学館の所在地まで地図入りで載っている!
なんて親切なんでしょう!
中紙業さんがデザインしたようなこの表紙にも味わいが感じられます。


たとえばこの『新詳説 国語便覧』には「補充資料」として差し込みで薄い冊子がついています。
そこには近代文学の名作について、その作品にまつわる資料写真と共に、恐らく学生が一般的に持つであろう作品にたいする疑問・質問に「読みのポイント」として解説が付けられています。

たとえば森鴎外の「舞姫」の例を挙げると、

【Q】エリスが発狂しても豊太郎はずっとそばにいてあげるべきだと思います。

【A】そうですね。それで彼の気がすむのならばね。でも、エリスはもう豊太郎が誰だかわからないのですから、彼女にとっては関係ありません。医者も治る見込みはないと診断しています。とすれば、かりに豊太郎がずっとエリスのそばにいつづけたとしても、それは彼の自己満足にすぎないでしょう。彼の人生の納得の仕方は、彼自身に任せていいのではないでしょうか。<愛の奇跡>を信じたいなら、それでもかまいませんが、それは他人に要求することではありません。

うあ~、なんてドライな回答なんだ。ドライすぎるぜ!
確かにそれが大人の世界だ。どこかで決着をつけなければならない時がいつかはやってくるのだが…。この回答の潔さがいいですね。

また、わたしの心のバイブル、志賀直哉の『城の崎にて』の場合はなかなか奥深く哲学的な回答です。

【Q】「城の崎にて」を読んでも、いまひとつピンときません。

【A】そうですね。ケガの「後養生」に温泉に出かけるという習慣(これを湯治といいます)も今日ではめったに見られませんし、また十代の頃は、目前の人生を生き抜くことに精一杯ですから、<死>の話もどこか縁遠く感じられるでしょう。
 ところで<対概念>ということばがあります。右と左、上と下、女と男、幸福と不幸、といった概念(ことば)の組み合わせをそう言います。国語辞典を引くと、右は左の反対、男は女の反対で女は男の反対、と説明してあります。すなわち、これらの概念は二つで一対(ペア)になっているので、いずれか一方が存在しないと、残る一方も存在できません。
 <生>と<死>も、この対概念の関係にあります。もしこの世の中から死ぬことがなくなると人間は物理的には永遠に生き続けますが、そのことを「生きている」と感じることはなくなります。なぜなら「生きている」とは「死んでいない」という意識だからです。したがって人間の意識の上においては、<死>があるから<生>があり、<生>があるから<死>があるのです。
 そういう目で「城の崎にて」を読み直したらどうでしょう。作品末尾近くに「生きて居ることと死んで了っている事と、それは両極ではなかった。それ程に差はないような気がした。」という一節があります。ここには<死>と至近距離で向き合うことで、<生>の感触を手にしている「自分」の姿が読みとれます。いきいきと生きようと思うなら、死から目をそらしてはいけません。

わたしがこの作品から感じたこととこの解説とは多少違うのだけれど
(教訓めいたものより、作者の達観した心境の方に重点が置かれていたようなので)、こういうのを読んでいると「ほほぉ」と勉強になったりして。

しかし、わたしが国語便覧のファンである理由は、もっと他にもあるのです。それは、何を隠そう、ドドン、「近現代文学史年表」です。

この文学史年表の何が好きかと言いますと、近代文学の作品名と作者名が年表に長々と綴ってあるわけなんですが、列挙された作品タイトルの美しさ、これが味わえるという、非常にオタク的な楽しみがあるのです。
呆れてますか。きっと呆れてますね。

とりわけ言文一致運動の後に登場する時期の作品タイトルがね、味わいがあっていいのです。

泉鏡花 『高野聖』
与謝野晶子 『君死にたまふこと勿れ』
森鴎外 『うたかたの記』
上田敏 『海潮音』
薄田泣菫 『白羊宮』
永井荷風 『ふらんす物語』
夏目漱石 『それから』
有島武郎 『惜しみなく愛は奪ふ』
佐藤春夫 『田園の憂鬱』
谷崎潤一郎 『陰翳礼賛』

などなど、枚挙に暇がありません。
有島武郎の「惜しみなく愛は奪ふ」なんて、なんて本質を突いた深いタイトルなんだ、と。子供にはわかるまい、と。

そんなことをはるか地球の裏側で思い出しつつ『国語便覧』を手元に置いて愛用している人間がいるということ自体、やっぱり変っちゃぁ変です。

蛇足ですが、巻末に「難読語の読みと意味」という項目がありまして、消えゆく脳細胞に活を入れるためにも、時々目を通したりしています。
先日「纏める」という字がどうしても思い出せず、ちょっとマズイぞ、と思い始めました。

結構重宝しますよ、『国語便覧』。
もういらねぇや、と捨ててしまわず。
是非、一家に一冊。





今日はとても暖かかった。
外に出てもマフラーも手袋もニットキャップも要らない。
日中も10度前後はあったかな。

用事で2時半頃に一度外出した時、半袖Tシャツでスケボーしてる若者達がいた。
1月半ばですよ。あんたら、何考えてるんすか。確かに暖かかったけどね、でも半袖Tシャツ1枚というのはさすがに…。

そう思って、仕事を終えて帰る途中、家の近所を歩いていたら、夜7時半過ぎだというのにまた半袖Tシャツ男に遭遇。ガールフレンドらしき女の子はダウンジャケット。どーゆー組み合わせですか。
アメリカ人の体温調節の感覚というのは本当にむちゃくちゃやね、しかし。


「燃えよ剣」の上巻の3/4ぐらいまで読んだ。
主として通勤の行き帰りの車中で読んでいるのだけれど、これが面白くて止められない。
この間はあまりに読み込んでいて降りる駅を1つ逃してしまった。

大河で見慣れたエピソードがたくさん出てくる。もちろん、三谷さんが史実の中からドラマに使えそうなエピソードをピックアップして取り入れているから、「燃えよ剣」と重なっているところだってたくさんあるんだろうけれど、出てくるエピソードを読むたびに大河のシーンが思い出される。
土方と総司の”俳句コント”の部分は「燃えよ剣」にもあったんだ。というか、これを基にしたのかな。

――うぐひすやはたきの音もつひ止める

ふふふふ、あぁ、あの頃のトシと総司はまだ幸せだったなぁ…。

大河「新選組!」がなければ、恐らくわたしは新選組の史実も通り一遍にしか知らなかったであろうし、「燃えよ剣」を読むこともなかったかも知れない。
だって「新選組!」を見るまで、新選組が名を挙げた事件を、「えーと、池田屋だっけ?寺田屋だっけ?」なんて言ってた人間なのだから。

高校の時、日本史の先生はバリバリの日教組活動をしていた人で、「教科書の中に真実はない」といって、1年間全く教科書を使わずに授業をした。まあ、義務教育じゃないからそういう教育方針もアリだったのかも知れないけれど、PTAからクレームがきたことがあった。そうでなくてもうちの高校は60年代、70年代に学生安保運動の盛んだった学校で、信じられないことにわたしが在学していた頃にも、「70年安保反対!」と太く書かれた字の黄ばんで破れたチラシの断片がトイレのドアの内側にはがしきれずに残っていたりしたのだ。

話が逸れたけれど、そんなことで、入学時に選ばされた志望コースの振り分けのおかげで、主要教科以外の選択コースで世界史を取ったわたしは、まともに日本史を勉強することなく3年間を過ごしてしまった。まぁ、中学でも日本の近代史は時間切れではしょって教えられた記憶しかないんだけれど。


それにしても「燃えよ剣」、土方歳三が主人公になったとしたって、大河ドラマ1年間分ぐらいドラマがあるなぁ。
わずか35年の生涯を、なんて密度濃く生きた人なんだろう。もちろんそれは近藤勇や沖田総司にも言えることだが。

読んでいると本書で使われている言葉遣いなどから、山本耕史のイメージよりもうちょっと「土臭い男」が想像されるのだけれど、それでもやっぱり色男で策略家でシャープさと冷徹さを持った土方歳三を見事に描き出した山本耕史は、希代の土方像を生み出したなぁと思う。

「燃えよ剣」の沖田総司を思う時もやはり藤原竜也の総司が重なってくる。無邪気で笑顔が似合って、そして頭のいい感じ。土方を慕って斬り合いにも臆せずついてくる件なんか、藤原くんの顔ばかりが浮かぶ。藤原くんはやはり「燃えよ剣」を読んで、彼なりの沖田総司のイメージの参考にしたんだろうか。

ちょっと知性が表に出過ぎて鼻につく奴として描かれる山南敬助も自然、堺さんの顔が浮かんでくる。
「燃えよ剣」には「燃えよ剣」の世界があり、「新選組!」には「新選組!」の世界観があるのだとわかっていても、つい重ねてしまう。そのぐらい、彼らは見事にその人物像を体現していたんだな。

この本で喧嘩好きのバラガキとして登場する土方歳三は、しょっちゅう真剣での斬り合いをする。その描写も生々しい。ドラマとは違って、本当の斬り合いになったらそういう肉弾戦が待っているのだ、というのを思わせずにはいられない描写だ。
もちろん毎日そういうことばかりではなかったろうけれど、それでも幕末の時代において、京にいて腰に刀を差しているということはそういう日常だったんだろうと想像させる。
本当にいくら命があっても足りないや。毎日決死の覚悟で生きている。そりゃぁ、密度の濃い人生にもなる。わたしはやっぱり幕末の侍なんかに生まれなくてよかった。

今ちょうど「池田屋」の直前まできた。
続きを読むのを、ワクワクしながら待っている。

 





日本でお正月休みを過ごした友人がこちらに帰って来た。
こちらを発つ前、「何か買ってきて欲しいものある?」と尋ねてくれたので、「司馬遼太郎の『燃えよ剣』の文庫を買ってきて欲しい」とお願いした。

そうして今日、新潮文庫で90刷を数える(驚異的!)昨年6月発行の『燃えよ剣』の上下巻を受け取った。


関係ないけど、新潮文庫はスパン(ひもしおり)がついてて好きです。このスパンを挟み込むのはすごく手間のかかる作業(確か手仕事)なので、文庫では新潮でしか採用されていない。
しかし書店独自の紙しおりも挟んであって、無意識のうちにそっちの紙しおりを使っていた。新潮文庫の心意気もナイガシロ。いえ、心がけてスパンの方を使いたい。
ところで、新潮文庫のマスコット・Yonda? くん、なんだか吉田戦車タッチの筆書きYonda? くんに変わっていた。
なにがあったんだ、Yonda? くん。

そんなこんなで今更ながら、『燃えよ剣』です。
司馬遼太郎は、去年友人からもらって読んだ『アメリカ素描』以来。その前というと大学の頃読んだ『龍馬がゆく』までさかのぼる。社会人になってから『坂の上の雲』を全巻揃えたのに、途中まで読んで頓挫してしまった。まだそれらの文庫は実家の本棚に眠ったままだ。

「新選組!」&「新選組!!」を見た後だと殊の外思い入れ強く読むことになりそうだ。上巻の最初のページに「トシ」って書いてあるのを見ただけで、既に山本耕史くんの姿を頭に思い描いて読んでいる。

今日は仕事帰りに友人達と会って家に着いたので、ちょっと疲れ気味だったにも拘わらず、家に着くとわたしは一目散にカバンから『燃えよ剣』を取り出して読み始めた。
やっぱりお楽しみを後に取っておけないタイプなのだ。わたしは子供か!
あぁ、わくわく。早く続きが読みたい。
こうやってわたしの睡眠は奪われてゆくのだな。



ところで、先日友人と話をしていて、「古畑ファイナル」の第三夜「ラスト・ダンス」の回に話題が及んだ。

結構遅くまで松嶋菜々子の入れ替わりのトリックに気づいてなかった、と友人に言ったら、「アホか!」と笑われた。
「あんなにいっぱい、早い段階からヒント出てたやん!」と。

「いや、わたしミステリーがそんなに得意では…」と口ごもると、「そういう問題やない!見てたらわかる!」と一喝されてしまった。

えぇ、確かに…集中力の問題…?(違う)
えーと、仰るとおりです、もう一度見直しまーす…。
でも既にトリックを知ってしまってから見たのでは…遅いかも…モゴモゴモゴ…。







| HOME | Next


Design by mi104c.
Copyright © 2017 fragments  , All rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。